物語前編

ころんとしたフォルムにハチマキ、つぶらな瞳。『オクトパス君』は、南三陸を元気にするため、南三陸町役場の阿部忠義さんが生み出したキャラクター。しかし、震災により商品も工房も全てが流されてしまったのです。一度は諦めた阿部さんでしたが、縁あって南三陸を訪れた大学が支援してくれることに。新たな工房が建ち、オクトパス君は『ゆめ多幸鎮オクトパス君』として復活しました。
1000個の商品が流された
南三陸は志津川のタコをはじめ、豊富な魚貝介類が捕れる豊かな地域です。しかし、食品以外にお土産となるような商品はありませんでした。震災前、産業振興課にいた阿部さんは特産品開発に乗り出しました。
「タコは英語にするとオクトパス。タコをモチーフとして、置くと(試験に)パスする文鎮をつくったらどうだろう」。元々ものづくりが好きで道具も技術も持っていた阿部さんは、さっそく自分のアトリエで試作。観光協会と連携し、合格祈願グッズ・オクトパス君として発売すると、徐々に人気が出て売れ始めました。型200個を自らつくり、いよいよ本格始動…というところで、東日本大震災に見舞われたのです。
阿部さん:若い頃からの夢だったアトリエを建てて、完成して二週間で流されてしまったんですよ。オクトパス君の型も、1000個の在庫も、自分が若い頃から少しずつ揃えてきた道具や機材も、全部。それはやっぱり、ショックでしたよ。
でも、それ以上に、仲間をたくさん失ったことがショックでね。私は運良く助かったけど、次の日に職員の安否を確認するじゃないですか。何が起きたのか理解できないままの作業でした。まちも戦場みたいな状態で、この世の出来事じゃないような気がして。ショックとかっていうレベルじゃない、涙も出ないんですよ。
だから、私は生き残ったものとして、生涯このまちのために生きなきゃいけないって誓ったわけですよ。それまで好きだったものづくりも封印して、南三陸の復興のために力を注ごうと思いました。
震災から一ヶ月後に入谷地区の公民館に転勤になった阿部さんは、全力で避難所のサポートにあたりました。
オクトパス君、復活
「学生をボランティアとして受け入れてくれませんか」。ある日、阿部さんのもとに知人を介して大正大学から連絡がありました。被災地のために何かしたいとあちこちに声をかけたが、受け入れてくれるところがなかったといいます。
南三陸は受け入れを決め、学生たちは岩手に宿泊して毎日バスで通ってきました。物資の運搬や炊き出し、避難所でのレクリエーション。朝日新聞がそのことを記事にすると、ほかの大学からもボランティアがやってくるようになりました。
阿部さん:そうしたら、大学関係者のみなさんが「応援するつもりできたけど逆に大変お世話になった、何かお手伝いできることはないか」と言ってくれたんですよ。ちょうどそのとき、以前オクトパス君を購入した人が、「これは阿部さんが持っていたほうがいいだろう」と商品を持ってきてくれたんです。それを見た大学のみなさんが、「ぜひこれを復活させましょう」と。
一度は封印したものづくりですが、避難所を回るうちに「被災した人が気を紛らわす何かが必要だ」と感じていたのも事実です。地元の人たちの仕事になればと思い、やってみることにしました。
大学が貸してくれた資金で、ぼろぼろになっていた廃校を工房へと改装。抜けていた床を直し、電気・水道を引き、トイレを新設し、7月には『YES工房』が完成しました。廃校(はいこう)の工房だから、「はい」を英語にしてYES工房。オクトパス君と同じく、ダジャレ好きな阿部さんのセンスが光るネーミングです。
オクトパス君も、地元の人がつくれるように素材を変え、名前を『ゆめ多幸鎮(たこちん)オクトパス君』と改名。工房のオープンに先駆けて5月から販売を開始しました。
2013.9.11