物語後編

作品を販売することで、活動を継続的なものにしたい

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大西菜月さんは2011年7月に、ボランティアの活動拠点となっていた自然の家避難所を訪問。避難していた地元の方々と寝食を共にしながらボランティアとして活動しました。

大西さん:朝起きると皆でお掃除して厨房で食事をつくり、日中は漁師さんのお宅で黙々と津波で荒らされた漁具用具の修復作業。夕方はまた自然の家に戻り、お母さんたちと夕飯の支度をするという日々でした。三浦さんとはこの厨房で出会い、共同作業をする中で少しずつ色々な話ができるようになっていったんです。滞在期間が過ぎて東京に戻ったあとも、友人と一緒に物資を集めて南三陸へ届けるなどして、交流を続けていました。

それからしばらくして、三浦さんたちは編み物サークルを発足。作品を見せてもらった大西さんは感嘆の声を挙げたといいます。

大西さん:「すごぉい!」の一言でした。作品に魅了されて、「これ、絶対売れます!ちょっとお預かりしてもいいですか?」とその場で言いきってしまいました(笑)

作品が素晴らしかったのももちろんですが、お母さんたちの癒しの空間になっているSKCを存続させたいと思ったというのもあります。お母さんたちはそれぞれ津波の経験や新しい生活からお悩みを抱えていましたが、みんなで集まることで陽気に話ができて、時には不安をこぼせていました。

そういった貴重な場をなくさないためには、何か継続的な仕組みや仕掛けが必要だと感じて、「作品を販売すること」がその仕組みになりえるんじゃないかと考えました。

大西さんは作品を持ち帰り、東京都墨田区のキラキラ橘商店街のフリーマーケットで販売。ここでは以前、SKCの作品の材料である毛糸を支援物資として回収したことがあったため、「あの毛糸がこんなに素敵になったの?」と喜ばれたといいます。

最初は「私たちの作品が本当に売れるのかな」と半信半疑だった三浦さんたちですが、購入してくれた方からの感想や評判を聞き、俄然意欲が高まったそう。その後も大西さんや三浦さんの息子さんに協力してもらい、さまざまなイベントで作品を販売するようになりました。

墨田ものコト市 販売

三浦さん:息子のつながりで、高野山のお坊さん達が南三陸に来てくれたんですが、作品を見て「世田谷の別院で販売会をしましょう」と言ってくれたんです。「いくらでも売れるから大丈夫、あるもの全部送って」って。その時は息子と友達が販売してくれて、ほんとにたくさんの人に買ってもらいました。ちょっとしたお小遣いになっちゃって(笑)嬉しいよねえ。今年も10月19日に販売会を開いてくれるそうで、今回は私も売り場に立つ予定です。

「自分にできることが嬉しくて、嬉しくて」

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「SKCの看板商品があるといいね」。イベントの販売を重ねそう考えるようになった三浦さんたちは、本に載っていた編み図に少しだけ自分達でアレンジを加え、いちご型のアクリルたわしを製作しました。見た目が可愛いだけでなく、持ちやすく実用性も兼ね備えた商品です。

三浦さん:「もったいなくて使えない」って言われちゃうけどね、おかげさまで人気商品になりました。最初は何にも包まずそのまま売ってたの。でも、いつまでもそれじゃいけないよねって、なっちゃんが美大生の友達とパッケージやタグのデザインを考えてくれました。いろんなパターンつくってくれて、「どれがいい?」って。こういうのがあると、一気に商品っぽくなるでしょ。すごいんだよー、なっちゃんは。

SKCの活動を自分ごとのようにサポートする大西さん。そこまで一所懸命になるのはなぜなのでしょうか。

大西さん:私に居場所をくれた大事な存在だからです。はじめは未曾有の大災害がこの国を襲ったのだから、何か力になりたいという思いで南三陸町に通い、ボランティア活動に励んでいましたが、結局なんのスキルも体力もない私にはできることがないことに気がつきました。

でも、SKCと出会って、私がSKCの作品をさらに魅力的に見せて、消費者の元に届けることでSKCのお母さんたちに生活の張り合いを少しでももたらせることがわかりました。自分にできることが嬉しくて、嬉しくて、だから今も応援させていただいています。

ボランティアで被災地を訪れたものの、あまりにも甚大な被害状況を目にし、無力感に苛まれた方も多いと聞きます。でも、ミクロなところに目を向ければ、自分を必要としている場所はあるのかもしれません。大西さんはこれからもSKCの活動を応援していきたいと話します。

大西さん:確かに、都内で販売する時は私がSKCを応援しているわけですが、南三陸町にいけば、SKCのお母さんたちにお世話になったり、就職活動中は逆に応援されたりといった関係なので、お互いさまなんです。

人との出会いが、生きていく励みになる

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三浦さんの家は、震災の数ヶ月後に取り壊しました。三浦さんはしばらくの間、ひとりでは自宅のあった場所にいけなかったといいます。

三浦さん:「ここにこうあったな」って、家の輪郭がありありと浮かぶんです。思い出すと辛くて。でも、いまは思い出せるようになりました。「じいちゃんばあちゃん生きてたらそこで畑やってたな」って。たまに行って草取りをしていると、落ち着くんですよ。

震災後は「少しの辛抱だ」と思っていたという三浦さん。しかし、高台移転・住宅再建は遅々として進まず、二年半が経った今でも多くの人が仮設暮らしを余儀なくされています。

三浦さん:みんな限界なんだよ、仮設での生活は。やっぱりね、プライバシーがないもの。右隣からも左隣からも声が聞こえるし、自分たちの声も聞こえるんだなと思うと、こそこそ話になるじゃない。だからね、SKCの活動でお金が貯まると、みんなで外にごはん食べにいくの。そうすると大きな声で喋れるじゃない?それがストレス解消になるんだよね。いつもみんなで、大笑い。

何年経ったら家を建てることができるだろうって考えると、やっぱり不安になるのね。こういう気を紛らわせるものがないと、なんとも生きていけない。私にとってはほんとに、唯一の慰め、癒しですね。

先が見えない暮らしの中で、そうした時間が気持ちを和らげてくれているそう。活動を通して、大西さんをはじめたくさんの人とも出会うことができました。

三浦さん:南三陸は被害が大きかった分、たくさんの人がボランティアとして手を差し伸べてくれました。おかげで、年上も年下もいろんな人と出会って、世界が広がった気がします。何が魅力なのかわかんないけど、1回来てくれた人がね、2回3回と来てくれることも多いの。そういう人たちと出会えたっていうのが一番ね、これから生きていく上での励みになるっていうか…ほんとにね、私の一番の宝物です。

2013.9.11