物語後編

お客さんと一緒に新しい製品を開発する

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立ち上げ当初、GANBAAREの製品は清水夫妻の自宅で販売していました。しかし、口コミでどんどん人が来るようになり、家の近くに専用の売り場をつくることに。商品を紹介するだけでなく、コーヒーやお菓子もふるまうことにしました。『ギャラリー縁』と名付けたその場所は、地域の方々や遠方からやってくるお客さんとの交流の場としても機能しています。

節子さん:津波はここから100メートル位のところまで来ました。だから、近くにお茶を飲めるところや休めるところがないんですよ。泥かきや瓦礫撤去でこの辺りに来たボランティアの方々も大勢立ち寄ってくれました。遠方からわざわざやって来て、気仙沼のために汗を流してくれた人たちです。製品を買ってくれなくてもいいから、お茶菓子くらい無料で出してあげたいと思いました。

何も購入しないお客さんにも声をかけてお茶を飲んでもらい、お客さんの姿が見えなくなるまで「ありがとうございました」と見送ってほしい。節子さんは自分以外のスタッフの方にもそうお願いしていたそう。この2年間で、『ギャラリー縁』を訪れた人は述べ5千人〜6千人に上るといいます。

清水さん:コーヒーだってお菓子だって、それだけの人数に出しているとそれなりの経費はかかる。でも、お茶飲みながら話をしていると、色々な情報が集まってくるんですよ。製品に対する意見や感想も聞けるでしょう。それを次の製品に活かすんです。そこでプラスになればいいと考えているんですよ。

この商品の色違いのものがほしい、こんな柄のものがあったらいいのに。お客さんたちのそうした声を節子さんが吸い上げ、職人さんと相談して形にしていきました。

節子さん:自社工房だから、ロットという概念がないんです。一個からつくれるんですよ。すごく自由。お客さんからの要望を受けて半分オーダーメイドのようにつくってみると、それがとても可愛くて売れ筋製品になったり。そんな風にしてどんどんアイテムが増えていきました。

お客さんとしても、自分が何気なく言った提案が受け入れられて、実際に商品になったら嬉しいもの。「頼まなくても知人友人に紹介してくれるんです」と節子さんは口元を緩めます。

清水さん:“ものを売る”って本来はそういうことだったわけじゃない。八百屋さんにじゃがいもが並んでいて、店員さんが「これでじゃがバターつくるとウマイよ」って勧めて、お客さんが買ってみて「じゃがバターもよかったけど、コロッケにしても美味しかったよ」って言って、店員さんがまた試してみて。そういう循環があった。

いまって、ただの「置き場」になっちゃってる店が多い。商品を置くだけじゃなく、「こういう風に使うんですよ」と伝える。そうすると、「売り場」になるわけです。お客さんには売り場を提供しなくちゃいけませんよね。

一度GANBAARE製品を買ったお客さんは、リピーターになる率が高いそう。清水社長や節子さんのそうした姿勢が伝わるからなのかもしれません。

「自分が誰かの役に立っている」と実感できる仕事

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GANBAAREの職人さんは、現在6名。歩合制ではなく、毎決まった額のお給料を払っているそうです。

節子さん:職人さんたちも最初の頃とは入れ替わりがありました。いま働いてくれているのは、一流ブランドの縫製工場で働いていた人や、家で内職をやっていた人たち。縫製経験が10年以上あるプロの方々なので、頼りにしています。

製品には職人さんからの提案もすぐに反映されます。節子さんは職人さんから「アイディアがすぐに形になるので、楽しくてしかたない」と言われるのだとか。

節子さん:普通の工場だと、お客さんの声って届かないでしょう。ここだと私がメッセンジャーになって工房とギャラリーを行き来しているから、すぐにお客さんの反応がわかるんです。「こないだみんなで考えた製品、お客さんにとっても好評です」「やっぱりあの柄にして正解できたね、すぐ売れましたよ」って報告すると、すっごい喜んでくれますね。

清水さん:工場だとものをつくる道具になっちゃって、自分の仕事がどんな価値を生んでいるのかが見えてこないでしょう。それが、今の日本に足りなくなっていたところなんじゃないかな。「製品を2000個つくること」が目標になっちゃダメ。自分がつくったもので誰かが喜んでくれる、嬉しい気持ちになる。人には、「自分が人の役に立っている、価値を提供できている」と実感できる仕事や場が必要なんですよ。GANBAAREをつくったのも、震災で仕事を失った人たちにそういう場を提供したいと思ったからです。

職人さんによって得意な作業は違うので、GANBAAREの工房では役割分担して製品をつくっています。一人でも欠けると大変なので、みんなが責任感を持って働いているのだそう。

節子さん:一人ひとりが大切なメンバーという意識で、お互いに頼り合っています。工房の雰囲気は和気あいあいとしていますよ。最初は「家事もあるし、一週間に何日来れるかな」なんて言ってた人も、「家にいるより会社にきたほうが楽しい」って毎日来てくれて。家財が流されて仮設暮らしだと、楽しみがないでしょう。そういう人たちに「ここでの仕事はお金以上に価値がある」なんて言われたら、私もちょっと位大変なことがあってもがんばろうって思えます。

気仙沼の子どもたちのために、新しい産業をつくる

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震災から2年が経ち、八葉水産は5つの工場が再稼働。一旦は解雇した従業員も再び雇い直すことができました。

節子さん:当時は工場もすごい有様だったから、やり直せるなんて思いませんでした。もう呆然としちゃって、わけがわからなくて。でも、落ち込む暇もなかったんです。中国から研修生がたくさん来ていたから、その子たちが国に帰るまでの間、自宅に受け入れて、ごはん食べさせて。社員も合わせたら60人位いたかな。その後も事務所や工場の片付けで、社員が食べるごはんを毎日数十人分用意していたので、とにかく大変でした。

たくさんの社員を抱えるということは、それだけ責任も増すということ。社員やその家族の生活に対する責任感、気仙沼で雇用を生み出しているという自負があったからこそ、清水社長は自社の再建だけに囚われず、GANBAAREを立ち上げたのかもしれません。

節子さん:主人は、将来的に若者の受け皿になるようにと思って会社をつくったんです。たとえば、うちの息子も東京の大学に行ってるんですが、卒業してさあ地元に帰ろうと思っても、就職先がない状況なんですよね。震災前からあった問題だけど、ますます少なくなりました。自分の子だけじゃなくて、未来の気仙沼の子どもたちのために、新しい産業をつくる必要がある。そう話していました。

地域の花や魚を柄にして、ご当地グッズをつくること。それは、「地域に仕事がない」と悩む被災地や他の田舎町でも真似することができそうです。

清水さん:真っ暗闇だと何もできないけど、一点の光があればそこを目指してみんな頑張れるでしょう。誰かが最初になにかを始めて小さく成功して、「ああいうふうにすればいいんだ」とみんなが真似していく。3月に震災が起きて6月には会社をつくったというと「早いですね」って言われるけど、それは一点の光になろうと思ったから。

実際、いろいろな団体が見学にきましたよ。福島の新地町の子が来て、自分のところの地名が入った手ぬぐいを作って売ったりしたこともありました。被災地だけじゃなく、いろんな地域がご当地柄のグッズをつくって、切磋琢磨していったら面白いよね。真似してもらって、それぞれの地域を盛り上げてもらえたらと思っています。

お客さんからも、つくり手からも、地域からも喜ばれる。そういった仕事ができていることを、清水社長も節子さんも誇りに思っている様子。でも、現状に満足しているわけではないといいます。

清水さん:フカヒレちゃんの人形焼きのような特産品もつくりたいし、情報発信事業もやりたい。やりたいことはたくさんあるんですよ。帆布事業を皮切りに新たな事業をどんどん進め、気仙沼に希望の灯を灯したいと思っています。

2013.7.23