物語前編

震災後、東北には外部からたくさんの人が訪れ、復興のために力を尽くしました。しかし、価値観や文化の違いから、地域の人と衝突するケースもあったと聞きます。
「衝突したからこそ、何でも言い合える仲になりました」と話すのは、『石巻復興支援ネットワーク』代表の兼子佳恵さんと、千葉県出身で事務局長を務める渡部慶太さん。お互いが得意なことを活かし合い、『Amanecer』をはじめさまざまな事業を立ち上げてきた軌跡を教えていただきました。

震災から二ヶ月後、地元の人と外部の人が協力して団体を発足

¥P1020532 兼子さんは石巻で生まれ育ち、21歳と17歳の子どもを持つ母親です。震災前はPTA仲間と一緒に『環境と子どもを考える会』という任意団体を立ち上げ、環境教育や子育て相談会を行ってきました。東日本大震災の津波により自宅の一階は1m50cmのところまで浸水しましたが、家自体は流されなかったため、数日間は二階に籠って生活。その後、復興のため自分にできることを探しはじめたそうです。

兼子さん:ひとつ幸運だったのは、震災の前の年の10月、阪神大震災時に外国人被災者を支援していた田村太郎さんを石巻へ呼び講演をしていただいていたことです。災害時のネットワークづくりや、災害弱者を出さないための教訓を聞いていたおかげで、「いま必要なこと」がわかりました。

まずは自分や家族の命を守ること。次に、周りの人たちと助け合うこと。自分がいただいた物資は、少なくても分けられる分は分けるようにしていました。自助、共助、そして最後に公助です。行政の人は、自分たちも家族を亡くしているのに、家にも帰らず働いていました。それを「給料をもらっているから当たり前」なんて言うことはできません。市民一人ひとりができることをしなくちゃ、と考えました。

3.11の数日後、田村さんは阪神大震災時の教訓を活かし、さまざまな団体と一緒に『被災者をNPOとつないで支える合同プロジェクト(つなプロ)』を発足。避難所を回って特別な支援を必要とする被災者の情報を収集、専門知識を持ったNPOへつなぐというプロジェクトです。兼子さんはドライバーとして『つなプロ』に参加。聞き取りを行うボランティアの方々を各避難所へ送る役割を果たしました。

このプロジェクトで、石巻のエリアマネージャーを務めていたのが渡部さんです。

渡部さん:僕は元々日系NGOのカンボジア事務所で働いていて、震災が起こったのはちょうど任期が終わる頃でした。そのNGOが『つなプロ』の立ち上げに関わっていたので、声をかけられ参加することに。『つなプロ』ではボランティアマネジメントとNPOとの連携を担当しました。そうして活動している間に、より広い範囲の課題を解決するために現地法人をつくろうという話になったんです。『つなプロ』が『環境と子どもを考える会』のサポートを行い、合同で『石巻復興支援ネットワーク』を立ち上げました。

兼子さんは代表に、渡部さんは事務局長に就任。2011年5月1日、震災からわずか二ヶ月後のことでした。

以前の優しい心を取り戻してほしい

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『石巻復興支援ネットワーク』の通称は『やっぺす』。「やっぺす」は「一緒にやっていこう」という意味です。「がんばれ」と励まされるのは、ありがたい反面辛いもの。「一緒にやっていこう」と言われれば、立ち上がる力が湧いてくる。そんな想いが込められています。兼子さんは友人に頼んで、『やっぺすちゃん』というキャラクターもデザインしてもらいました。

兼子さん:ハートマークだけで構成された、優しいピンク色のキャラクターです。震災後、まちにぎすぎすした空気が流れていたので、「元の優しいみんなに戻ろうよ」と言いたかったんです。

震災後の数日間、人々は知り合いに会うと無事を喜び、「お互い大変だったね」と労り合っていました。でも、時間が経つにつれて、避難所に届く物資の違いを妬む声や、避難所にいる乳幼児をうるさがる声が聞こえ始めたといいます。

兼子さん:避難所で行われる炊き出しも、自宅が流されなかった人が行くとひんしゅくを買う雰囲気がありました。でも、家があるといっても、電気もガスも来ていないので、寒いし料理もできないんです。それに、仕事場が流されて収入を失ったら、ぎりぎりの生活をしていた人は死活問題ですよね。でも、そういう人に対する支援はない。だから、物資を配るときも、そういう人にちゃんと届くよう配慮しました。

一人ひとり状況は違っても、みんな同じように被災しているし、みんな辛い想いをしている。そのことをわかってほしいと思いました。

地域の人々がお互いの状況を理解し助け合うコミュニティをつくろうと、兼子さんたちは住民が集まって楽しめるイベントを仮設住宅の集会所で開催。そこでは、初めて会う人同士が「よろしくね」と携帯を交換する姿、「あなたここにいたのね、無事だったのね」と再会を喜ぶ姿があちこちで見られたといいます。

渡部さん:10月から、女性の手仕事支援も始めました。仮設住宅のより深いコミュニティ形成と、女性の生きがいとなる仕事づくりのためです。最初は『EASTLOOP』のハートブローチなど、ほかの団体や企業が声をかけてくださる内職仕事のコーディネートを行いました。集会所のイベントで知り合ったお母さんたちに声をかけたんですが、需要がとてもあって。「私もやりたい」とどんどん人数が増えていきました。

でも、単発仕事を受注していると波が出るし、震災から時間が経つにつれて売れなくなる製品もでてくる。お母さんたちからの需要はあるのに、紹介できる仕事がない。だから、自分たちで商品を開発しようと思いました。震災と関係なく売れる商品を。

『SONRISA』勇上澄子さんとの出会い

¥20120930_2b18caしかし、『石巻復興支援ネットワーク』にはものづくりに関する知識も経験もありません。「それならちょうどいい人がいる」と知人が紹介してくれたのが『SONRISA』の勇上澄子さんでした。

『SONRISA』は赤ちゃんが引っ張っても切れないネックレスなど、育児中のママでもお洒落ができるアクセサリーを揃えたブランド。勇上さんはネットショップを運営し、自分でデザインした手づくりアクセサリーを販売していました。震災の一週間後には商品のチャリティー販売を開始するなど復興に対する意欲が高く、ずっと「現地の団体とつながって何かをしたい」と考えていたそうです。

渡部さん:復興まちづくりの視察に関西へ行ったとき、大阪に住む勇上さんとお会いしました。想いが同じだったので「一緒にやっていきましょう」ということになり、一度石巻にも来てもらって、メールベースでやりとりを重ねて商品を開発していきました。

初めてアクセサリーづくりを行う素人のお母さんでもつくれるもの。乳幼児が誤って飲み込まないよう、針を使わずにつくれるもの。これらの条件を踏まえて勇上さんが提案したのは、コットンパールを使ったゴムブレスレットでした。

コットンパールとは、綿を圧縮して表面を樹脂でコーティングしたイミテーションパール。セミマットな質感と羽のような軽さが好まれ、近年静かなブームが起こっています。ただ、ゴムブレスタイプのものはあまり流通していませんでした。理由は、十分な強度になる本数のゴムを通すには一粒一粒加工して穴を広げる必要があるから。手間と時間がとても掛かるので、大量生産はできません。でも、そうしたほかではつくれない商品こそ、差別化につながります。

中央のアクセントにはマットゴールドのドーナツ型ビーズを重ね、石巻のイニシャル「I」の形をしたチャームを配置。とても軽くて着脱もしやすく、上品な中にも可愛らしさのある製品に仕上がりました。

兼子さん:ブランド名は『Amanecer(アマネセール)』としました。スペイン語で“夜明け”という意味です。『SONRISA』がスペイン語なので、それに合わせて。一人ひとりが夜明けとなって、復興を目指そうという想いを込めました。

2012年3月11日にネットショップで販売を開始すると、大好評。すぐに品薄状態になり、つくり手のお母さんたちは忙しく追加生産に追われることになりました。

2013.7.21