つくり手インタビュー

7月下旬、副代表の鈴木やすかさんに案内してもらい、南三陸ミシン工房の製作現場を訪れました。工房で待っていたのは、パンフレットやウェブサイトで見た通りの素敵な笑顔を持ったお母さんたち。作業の合間に、いろいろなお話を聞かせてくれました。

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阪神大震災で被災した夫婦から、手紙が届いた

つくり手のひとり、畠山つた子さんは、地元の専門学校を出て、30年以上服飾系の工場で働いていたベテランです。初期からミシン工房に関わり、皆さんから頼りにされています。

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——地震が起こったときのことを聞いてもいいですか?

つた子さん:知り合いが石巻の市立病院に入院していたので仕事を休んでお見舞いに行っていたんですが、帰ってくるときに地震が起きました。家に戻って、近くに赤ちゃんのいる親戚がいたので、車でピックアップして高台に逃げました。

——「津波が来る」と思ったんですね。

つた子さん:3日前に震度4の地震があったんです。海のそばで仕事をしていたから、波が高くなるのを見ていて。震度4であれだけの波なんだから、逃げなくちゃと思いました。あれを見ていなかったら、津波が来るとは思わなかったでしょうね。どうなっていたことか…。家は流されてしまって、2週間親戚の家にお世話になり、仮設住宅に移りました。

——南三陸ミシン工房にはどういう経緯で参加されたんですか?

つた子さん:募集を見て、友達が応募してくれたんです。「ミシン貰えるよ」って。みんな、私が縫製の仕事をしていたのを知ってたから、「(支援物資で送られてきた)ズボンの丈直して」って私のところに持ってきていたんですよ。ミシン流されちゃったっていうのに(笑)

——じゃあ、ミシンが貰えるなんて願ったり叶ったりだったんですね。

鈴木さん:つた子さんは第一期のときから参加してくれたんですよ。だから、新しく来た人に教えてもらう係になってもらいました。

つた子さん:これまで経験してきたことが実を結んで、こうして人の役に立つっていうのは、嬉しいですね。

——ここで初めて出会った人もいるんですか?

つた子さん:南三陸町と言っても広いから、初めての人がほとんどですね。知り合いが増えました。

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鈴木さん:お昼にみんなでごはんを食べるんですが、皆さんそれを楽しみにされています。朝から「今日は何食べようか」って話題で持ち切りで(笑)お誕生日の人がいると、ケーキを買って来てみんなでお祝いします。

——いいですね、そういうの。鈴木さんは毎回いらしてるんですか?

鈴木さん:私は普段東京で働いていて、金曜日の仕事が終わったあとこっちに来ています。2011年の夏から関わりはじめて、東北へ来るのは50回を越えました。

つた子さん:50回以上!すごいねえ、遊ぶ暇ないっちゃねえ。私、やすかさんのお母さんに「ちゃんとごはん食べてるか見ててください」って頼まれてるんですよ。

鈴木さん:3月に東京でミシン工房の個展をしたとき、うちの母と南三陸のお母さんたちがいつの間にか盛り上がっていて(笑)南三陸に来るようになって、母親がたくさんできた感じです。

3月に東京で行われた個展。壁一杯にお母さんたちの笑顔の写真とバッグが並んでいました。

3月に東京で行われた個展。
壁一杯にお母さんたちの笑顔の写真とバッグが並んでいました。

——私も見に行きましたが、とても素敵な個展でした。応援してくださる方や製品を買ってくださる方と直接会える機会があるのって、いいですよね。

つた子さん:みなさん、「自分も励まされる」って言ってくれます。

鈴木さん:阪神大震災で被災した夫婦から、つた子さん宛に手紙が届いたことがあるんですよ。被災から立ち直っていくのはやっぱり大変で、旦那さまから奥さまに「一緒にがんばってくれてありがとう」って気持ちを込めて、このバッグを贈ってくれたって。

つた子さん:嬉しいねえ、頑張って縫わないとねえ。

——今後の展望はありますか?

つた子さん:やっぱり続けていきたいですね、せっかくここまで来たんだから。もうすぐ工房もできることだし。

鈴木さん:今までも小さな工房はあったんですが、7坪しかなくて作業するには狭いし、全員入ることもできないので、いまは公民館などの場所を借りて作業しています。でも、アパレル企業に支援していただき、今年中に工房が建つ予定です。

つた子さん:工房ができたら、ますます頑張らなくちゃ。楽しみです。

受け取った人からの言葉が力になる

高橋かつ子さんは、高等専門学校で洋裁を学んだ後、「もっと上達したい」と働きながら夜間の専門学校で洋裁・和裁を勉強。結婚して専業主婦になりましたが、ミシン工房との出会いをきっかけに縫製の仕事を再開しました。家族からの応援を受け、楽しくつくっているそうです。

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——地震が起こったとき、かつ子さんは何をされていたんですか。

かつ子さん:友達が椎茸の栽培をしていたので、手伝いに行っていました。山の中だったけど、ひどい揺れで。「とにかく帰らなくちゃ」と思って車で家に向かいました。

——でも、帰る途中に海の近くを通るとしたら、危険ですよね。

かつ子さん:最初は津波が来るなんて思わなくて。でも、途中で見えた海が緑色をしていたんです。いつもは透き通った水色をしているんですけど、普段は水があって見えないところの岩肌が見えていて。「これは何かある」と思いました。とにかく家のことと子どものことが心配で、大急ぎで向かって。家に誰もいないことを確認して、必要なものを車に載せて志津川中学校へ避難しました。町には誰もいなくて、雪が降ってしいんとしていたのが印象的でしたね。

——お子さんたちは無事だったんですか。

かつ子さん:娘に電話して、無事を確認しました。息子には繋がらなかったけど、部活中だから誰かが誘導してくれるだろうと信じていました。そうしているうちに、中学校に行って5分も経たない頃かな、「ガタガタガタガタ、バリバリバリバリ」ってすごい音が聞こえて。誰かが「電車通ってたっけ?」って。そんなはずないので、高台から下を見たら、そこまで津波が来ていて、潮と埃が混ざった臭いがしてきました。

——間一髪だったんですね…。

かつ子さん:波に追われたわけでもないから、あんまり実感がないんですけど。でも、地震後に椎茸の作業場で「散らばったものを片付けてから帰ってください」と指示されたんですが、2日後にそう指示した男性と中学校で再会したら、号泣されちゃって。私のあとに山を下りたらもう波が来ていたので、私は飲み込まれてしまったんだと思って罪悪感を感じていたそうです。男の人にあんなに泣かれたのは初めてですね。本人はケロッとしていたから申し訳ないんですが(苦笑)

——その後、息子さんの無事も確認できたんですか。

かつ子さん:息子は南三陸の松原公園という、海のすぐそばの体育館で部活をしていたんです。隣に防波堤代わりとなる町営住宅があったのでそこの屋上へ避難したんですが、そこにも波が来て膝まで濡れたそうです。人が流されていくところも見てしまい、「地獄ってこんな感じかなと思った」とあとで話していました。それからしばらくは、精神的にも少し不安定でしたね。

——大変でしたね。避難所や仮設住宅での暮らしも、日常と違うからストレスがたまるんじゃないかと思います。

かつ子さん:仮設住宅って、昼間はほとんど人気がないんですよ。気が滅入っちゃって、「何かやらないと鬱になっちゃう」と思いました。そんなときに、義姉からミシン工房を紹介されて。「何かできたら」と思って参加しました。

——参加してみて、いかがでしたか。

かつ子さん:まず「一ヶ月くらいでこれを仕上げてください」って課題が出されるんですが、目標ができて気が紛れました。最初はなんでもいいから打ち込むものがほしかったんですが、だんだん楽しくなっちゃって。

——どんなところが楽しいんですか?

かつ子さん:ほかの内職だと、作業の一部しかできないでしょ。タグをつけるだけとか。ここではひとつの品物を最初から最後まで責任もって手がけるので、「自分の作品」という感じがしてやりがいがあります。あと、完成したものを見るのも楽しくって。柄によって全然印象が変わるから、「これ出すのもったいないな」なんて思ったり(笑)

——買って下さった方からのメッセージで印象に残っている言葉ってありますか?

かつ子さん:あります。フェイスブックに書き込んでいただいた方なんですが、応援のつもりで買って下さったそうなんです。ネットで注文して、全然期待していなかったみたいで。でも、開けてみて…あー、だめ!思い出すと泣きそう。だめだめだめ。…「開けてみてびっくりしました。一ミリの狂いもなく綺麗に仕上がっていました」って。期待していなかったのに、実物を見て感動したって書いてくれていたんです。「あっ、自分のだ」ってわかって、家に帰ってからじわじわ実感して、その言葉がすっごい力になったんです。「やっていてよかったな、一つひとつ大事につくらないとな」って。受け取った人から言葉にしてもらうと、すっごい力になりますね。

——嬉しいですねえ。名前と似顔絵の判子もあるし、手を抜けませんよね。

かつ子さん:ほんっとそうです。あの判子を見たときは嬉しかったなぁ。娘が「お母さん髪型変えられないね」って言っていました(笑)髪型とか眼鏡とかの違いなんですけど、なんかみんなの特徴掴んでいるんですよ。

——みなさん、とても楽しそうに作業されていますよね。

かつ子さん:仮設にいると寂しくなるときがあるけど、みんなで集まるとガハハハって笑い声が絶えなくて。いろんな話をして、「みんな同じ気持ちなんだな、一緒にがんばっぺし」っ思います。ほんとに「がんばっぺし」だね。

「おすましした顔で写りたいのに、いっつもやすかさんが笑わせるんですよ。もう〜!」とかつ子さん

「おすましした顔で写りたいのに、いっつもやすかさんが
笑わせるんですよ。もう〜!」とかつ子さん

——『おらほもあんだほもがんばっぺし!Bag』という名前は皆さんで決めたそうですね。

かつ子さん:そうそう。「がんばっぺす」は男の人とかお年寄りが使う言葉なのね。私たちまだ恥じらいのある乙女だから(笑)「がんばっぺし」にしようって。

——ご家族も応援してくださっているんですか?

かつ子さん:そうなんですよ。前はあんまり仕事していなかったので、家族の私を見る目が変わりました。忙しいときは、紐を切るとか細かな作業を手伝ってくれるんです。「そろそろお昼つくらなきゃ」ってキッチンに行ったら、主人が焼きそば作ってくれていたこともありました。ちょっと照れくさそうにしながら。今までそんなことなかったんですよ。商船の船員なので、船に乗せてもらったときに乾麺のやきそばを作ってくれたことはあるんだけど、それをまた食べさせてくれて。もうびっくり!感動!

——いい旦那さんですねえ!

鈴木さん:優しいですよね。でもそれって、作業の様子を見ているからですよね。かつ子さん、すごい真剣につくるから。応援したくなるんだと思います。

——今度、この活動をどうしていきたいですか?

かつ子さん:続けていきたいですね。本当に助かってるから。仮設の暮らしの中での力になってる。色々な要望をいただくので、それに応えられるよう、新しい商品も生み出していきたいですね。

製作工程

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今回使うのはこちらの生地。上の六枚はバッグ、下の二枚は持ち手になります。

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生地を重ね、ミシンで縫い合わせます。

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型紙に合わせて、端をカット。

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真ん中に「Hang in there!」のワッペンを置き、アイロンで貼り付け。
冷めるまでしばらく待ちます。

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待っている間に、持ち手の部分を製作。
四つ折りにしてアイロンで癖をつけ、ミシンで縫います。
細いので、ミシンでまっすぐ縫うスキルがないとつくれません。

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十分に時間を置いたら、ワッペンの土台をはがします。しっかりつきました!

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タグや持ち手、裏地を縫い付けていきます。

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裏地はサイズが合わないとよれてしまうため、
何度も改良を重ね、ちょうど良い大きさに辿り着きました。

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完成!写真を撮ろうとすると恥ずかしがって顔を隠す、お茶目なつた子さん作です。

2013.7.20