物語前編

地震と津波によって発生したたくさんのガレキ。処理方法が問題となり邪魔者扱いされていますが、以前は誰かの家や持ちものだったものです。「ガレキ」と一言でまとめて語ってほしくないと思っている人もいることでしょう。
札幌から東北へやってきた中田源さんは、目の前に積み上がるガレキの山を見て、「これを何かに活かせないか」と考えました。ガレキの中から光る素材を見つけて製品をつくり、それを地元の人の仕事にできたらーー。ネガティブに捉えられがちな素材に手を加え、ポジティブな価値を生む挑戦が始まりました。

ある人から見たらゴミ、ある人から見たらかつて宝物だったもの

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中田さんは北海道出身の33歳。震災当時は札幌のアパレルメーカーで働いていました。東北出身の同僚の実家が流されてしまったため、ゴールデンウィークに手助けに行ったといいます。

中田さん:そこで見た光景が衝撃的だったんです。避難所は溢れ返っていて、廊下に寝ている人もいる。外に出れば腐敗臭が漂い、一面壊れた建物だらけで見たこともない景色が広がっていました。本当にすごいことが起きてしまったということを実感して、「何かしないといけない」と強く思いました。

仕事を辞め復興支援に取り組む準備を始めた中田さんは、札幌でリフォーム業を営む株式会社Hand Madeの浦谷社長と出会います。以前から地域貢献活動に取り組んでいて復興支援にも積極的だった浦谷社長は、中田さんの話を聞いて「そういうことなら、うちで復興支援の部署をつくるからその社員として行ったらどうか」と提案。Hand Madeとして陸前高田で活動している人を応援していたため、中田さんも2011年7月に陸前高田へ移住しました。

中田さん: 陸前高田には元々9つの調剤薬局がありましたが、津波で全て流されてしまったんです。そこで、新たに薬局を立ち上げる人のサポートをすることが最初の仕事でした。それ以外にも、建物の一角を物資の倉庫にして地域の方に配ったり、ガレキ撤去をしたり、いわゆる普通のボランティア活動をしながら過ごしていました。

そうして一ヶ月が過ぎた頃、中田さんは親しくなった地元の人に以前から温めていた企画を相談します。それは、ガレキを活用してものづくりをするというものでした。

中田さん:アイディアのもととなったのは、ベルリンの壁が崩壊したとき、地元のお土産屋さんが壁のカケラをパッケージングして売っていたことです。本来だったら捨てられてしまうものが、形を変えれば製品になる。それをたくさんの人に届けることでみんなが震災のことを考えるきっかけにできないかと考えました。

発想自体は5月に初めてガレキを見たときからありましたが、よそ者がガレキを使うことに抵抗感を覚える地元の方もいるのではと思い、踏み出せずにいたといいます。

中田さん:でも、地元の人と顔を合わせて話をしていると、やっぱり仕事がない人が多いことがわかって。「これが仕事になれば…」と思って、物資配布時に毎日会うおばちゃんに話してみたら、「いいんじゃない?」と肯定してもらえたんです。背中を押してもらって、まずはやってみることにしました。

全国の方々の応援が自信につながる

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遠くから見ると灰色の山に見えるガレキですが、一つひとつの破片は様々な色をしています。バケツ、洗面器、衣装ケース、籠…元は誰かの家やお店にあったもののかけらたち。カラフルな破片を見つけて持ち帰り、高圧洗浄をかけて形を整え3枚揃えれば、瓦Re:KEYHOLDERに変身します。

中田さん:ガレキに対する考え方って、本当に千差万別ですよね。誰かの大切な遺品だったり、かつての宝物であったりする一方、処理には時間がかかるし、受け入れ拒否をされたりして嫌がられてしまう。だとしたら僕は、目の前の仕事がない人のために活用できたらと思いました。

商品化するにあたって、福島にある日本化学環境センターにガレキを持ち込み、放射線量を調べてもらいました。その結果、問題ないと判断できる値だったため、販売を開始。ガレキを拾う場所も週に一度放射線量のチェックが行われています。

中田さん:ただ、放射能に対する考え方も人それぞれです。この商品を好きになれない人がいても仕方ないし、そういう人にはごめんなさい、と思っています。

最初は否定されたこともあったそうですが、コンセプトに共感してくれた方々の応援もあり、販路も少しずつ広がっていきました。

中田さん:アパレル時代の卸先に電話をかけて、置いてもらうようお願いしました。始めのうちはあまり伸びなかったんですが、「びっくりドンキー」で扱っていただけたことが転機になって。大きな取引先があることで、ほかのお店にも信頼してもらえるようになったんです。

また、陸前高田のボランティアセンターで販売してもらえたのも大きかったです。一度は販売を断られたんですが、地元の方が熱心に説得してくれて。当時は週末に1,000人位ボランティアの方が来ていたので、飛ぶように売れました。買ってくれた方が地元に持って帰ってまた広めてくれて、新たな販路ができて。

そうやってたくさんの方が賛同し応援してくれたので、間違っていないと自信が持てるようになりました。

カラフルな見た目だからか子どもに人気があり、「お年玉を削って買いました」「ランドセルにつけています」と手紙が届くことも。中学生、高校生から「文化祭で販売したい」と連絡が来ることも多く、「若い世代が興味を持ってくれることが嬉しい」と中田さんは頬を緩めます。

障がい者一人ひとりの良いところを見つけて伸ばしていく

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瓦Re:KEYHOLDERのつくり手は、震災によって仕事を失った地元の主婦と障がい者の方々です。最初は主婦だけでしたが、地元の福祉作業所『すずらんとかたつむり』から「うちでもつくりたい」と声がかかり、製作してもらうことになりました。

中田さん:いままで障がいを持っている方とあまりつきあったことがなかったので正直どうなるだろうと思ったんですが、職員さんが熱心に話してくださって。まずは簡単なところから初めて、徐々にお願いすることを増やしていきました。

障がいの度合いも得意なことも人によって違って、ちゃんとその子に見合った仕事をお願いするとすごくよくやってくれるんですよ。たとえば、紙を正方形に切るのが好きな子がいて、その子にガレキを切る仕事をお願いしたら、すごい集中力でどんどんやってくれました。最初は正方形だけでしたが、線を引いてあげたら三角形にも切れるようになって。

だんだんレベルがあがっていく姿を目の当たりにして、僕自身の意識も変わりました。いまは、「一人ひとりのいいところを見つけて、伸ばしていくのが僕らの仕事かな」と考えています。

完成した製品は、施設の職員さんと一緒に検品をします。始めた当初は半分がやり直しになったそうですが、いまではほぼOKが出るようになりました。ハートやかたつむりの形のキーホルダーをつくる等、自分たちで創意工夫しながらつくっています。障がい者の親たちも、自分の子どもが復興に関われていることに対してとても喜んでいるそうです。

中田さん:障がいを持っている方の親御さんたちは、自分が死んだ後の子どもの将来をとても心配しているんですよね。でも、もう少し社会全体の障がい者に対する意識が上がって、一人ひとりの長所を活かしながら普通に暮らしていけるサポートをできるようになったらいいなと思います。

子どもたちに津波のことを伝えるために

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今年に入ってから、ガレキを使った子ども用工作キット『瓦Re:きっとフォト』も誕生しました。陸前高田のガレキを使ってオリジナルフォトフレームをつくれるこのキットは、インターンで陸前高田にやってきた学生たちが考案。瓦Re: KEYHOLDERにも「風化防止」の想いが込められていますが、製品を持つだけではやはり忘れられてしまう。自分でガレキを使って工作すれば、記憶に残るのではーーそんな発想から生まれた製品です。

中田さん:過疎化、医療不足、仕事不足…震災によって、東北が抱えていた潜在的な問題が一気に顕在化してしまいました。復興には、10年、20年と長い時間がかかると思います。それを引き受けていくのは、子どもたちの世代。僕らの時代にすごいことが起きてしまって、ここから解決していかなくちゃいけないということを、子どもたちに伝えていかなければいけないと考えています。

小中学校でこのキットを使ったワークショップを行うと、子どもたちは真剣に話を聞いてくれるそうです。

中田さん:みんなニュースでガレキのことは耳にしているから、最初は「怖い」「汚い」って言うんです。でも、「みんなには大切にしているもの、人にあげられないほど大事なものってある?」って聞くと、「DS」とか、「野球のグローブ」とか、色々な答えが返ってきます。「そういうものを陸前高田の子もみんな大事に持っていて、でも全て流されてしまって街に山積みになっているそれが、ガレキって呼ばれてるんだよ」と教えると、すごく納得してくれるんですよ。「もし自分の宝物が突然なくなっちゃったら…」と想像して、「ずっと大事にする」「東北のことをもっと考えようと思う」って言ってくれます。

そうしていろんなことを考えながらつくったフォトフレームを飾ってもらって、大きくなったときに「陸前高田行ってみようか」と思うきっかけになったらいいなと思っています。

大人がしっかりしないと、子どもたちは前に進めない。これから様々な問題に直面していく子どもたちに少しでも何かを残せるよう、教育活動にも力を入れたいと中田さんは熱を込めて話します。

2013.6.12