物語前編

たくさんの思い出がいっぱい詰まった家に、子どもの頃から慣れ親しんだ風景に、ある日突然帰れなくなる。それはいったい、どれほどの哀しみでしょうか。
大熊町から会津へ避難してきた庄子ヤウ子さんは、先が見えない状況の中ものづくりに希望を見出し、友人と一緒に「會空(あいくう)」というグループを立ち上げました。その名前には、「會津(会津)の會」と「私たちの帰れない故郷へとつながる空」という意味が込められているといいます。

仮設暮らしの中、“何かをやること”に飢えていた

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庄子さんの故郷、福島県双葉郡大熊町は、福島第一原子力発電所の1号機から4号機の所在地です。2011年3月の原発事故により立ち入りが全面禁止となり、大熊町は4月上旬に内陸部の会津若松市へ自治体機能を移転。多くの町民も会津へ移住することになりました。

庄子さん:私たちは家族も親戚もみんな大熊町にいたからよそに行くところもないし、行政が行くところに着いていくって決めました。

最初は会津若松市内の民宿を避難所として生活していましたが、6月には仮設住宅に移ることができ、ようやく暮らしが落ち着きました。そのとき襲ってきたのは、なにもすることがない辛さ、虚しさ。「なにかをしなければ」と思っていたところ、地元の若者である谷津拓郎さんと出会い、「伝統工芸の会津木綿を使ってものづくりをしませんか」と持ちかけられました。(こちらの経緯は、story002「IIE」でも紹介しています)。

元々、大熊町では30年間ニットを編む仕事をしていて、編み物教室も開いていた庄子さん。「やっぱり私にはものづくりだ」と思い、編み物教室の教え子や知人を集めて谷津さんの持ってくる内職の仕事を引き受けることに。メンバーの技術が向上していくうちに、谷津さんの仕事を待っているだけでは物足りなくなり、自分たちでもオリジナルなものづくりをしたいと「會空(あいくう)」というグループを設立しました。

庄子さん:メンバーは4人いて、私以外は40代。会津で再会して、以前から「一緒に何かやりたいね」と話していました。飢えていたのね、何かをやることに。それをビジネスにつなげてくれたのが谷津さん。私たちのプロデュース、材料の仕入れ先や販売のことなどを教えていただき立ち上げることができました。私たちのあいだでは「谷津神さま」って呼んでいますよ。

庄子さんは大熊町で工房を持っていたので、それを再現しようと市役所の町中活性化事業を進めていた職員の紹介で空き店舗を借り、2012年2月には自分たちの工房を開設。本格的にものづくりを始めました。

会津木綿を使うことで、恩返しがしたい

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「これを使って何かつくれませんか」。ある日、谷津さんが持って来た縞柄の会津木綿の端切れ。それを見て庄子さんは「あ、ちっちゃいくまのぬいぐるみがつくれる!」と閃きました。大熊町にいたときにつくったことがあり、パターンも持っていたからです。完成したくまは、会津木綿の「縞」と福島の「島」、ふたつの意味を込め、「しまくま」と名付けました。

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くまと言えば、大熊町には昔から「おーちゃん」「くーちゃん」という二匹のマスコットキャラクターがいました。“ゆるキャラ”ブームが起こるずっと昔から存在し、さまざまなところで使われ、町民に愛されていたといいます。この「おーちゃん」「くーちゃん」をモデルに、會空オリジナルのぬいぐるみをつくろうと考えだされたのが「あいくー」です。

庄子さん:市販のくまのぬいぐるみをほどいて、型をおこし、何度も試作をしていました。試行錯誤をくりかえしていたら博物館で学芸員をしている職員の方が、粘土で模型をつくってくれたんですよ。「こんなふうでないのかい?」って。前は美術の先生をしていたから、そういうのが得意なんでしょう。だからかな、なんとなく模型は彼に似ている気がします(笑)。そこから形を起こして、1からパターンをつくり「あいくー」が生まれました。

自分ひとりでつくったんじゃない、いろいろな人の思いが重なって、生まれた「あいくー」だということが、私の自慢なんですよ。

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あいくーの肌には、黒地の会津木綿を使用。会津木綿を使ったぬいぐるみというと少し贅沢にも思えますが、ぬいぐるみにすると素朴で温かみのある質感が際立って、素材の良さがよくわかります。

庄子さん:会津木綿工場にも見学に行きました。会津の方々にはとてもよくしていただいているので、ちょっとでもその土地のものを広める…とまではいかなくても、使うことで恩返しできたら、と思っています。

思い出の生地でくまをつくる

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会津若松市内の仏壇仏具メーカー「アルテマイスター」が運営するギャラリースペースでは、展示販売のほか、2012年冬から「會空」の手づくりワークショップも始めました。

庄子さん:12月は、クリスマスに合わせて赤いスカーフのしまくまをつくりました。「大事な人への贈り物をつくる」という企画です。参加者は大半が女性だったけど、男の子も参加してくれたんですよ。彼女につくってあげるんだって。ちょっとキュンとしちゃうでしょ。花祭りのときには、会津木綿工場にお願いして、オリジナルな「桜・しま」柄を織っていただき、しまくまをつくりました。

3.11に合わせた「祈り」の企画では、目を伏せて手を合わせ、お祈りをしているあいくーを製作。中身は綿ではなく、仏壇をつくる時に出る木屑。仏壇の木は高級なので活用しないのはもったいないと、庄子さんから提案しました。いつかあいくーが汚れて捨てるときがきても、木綿も木もいずれ土に還ります。「いずれ命は土に還る」というコンセプトも込められています。

庄子さん:そういうふうにね、ものづくりって、お話があれば提案することもできるし、いくらでもアレンジできるんですよ。とても楽しいことです。

まだ庄子さんが大熊町にいたときのこと、娘の友人から「家族で代々お下がりを受け継いできた半纏(はんてん)で、くまのぬいぐるみをつくってほしい」と頼まれたことがありました。庄子さんは半纏の生地だけでなく中に入っていた綿も使い、できるかぎり全ての素材を使って大・中・小6つのくまを製作。完成品は代々その半纏を着た人たちの手に渡りました。「昔着ていたあの半纏だ!」と、とても喜んでもらえたといいます。

庄子さん:思い入れがあって、古くなっても捨てられないものってあるでしょう。若い頃愛用していたコートをくまにしてそばに置いておくとか、赤ちゃんの産着をくまにしてお嫁にいくときやお孫さんができたときにあげるとか、そういうことができますよね。そうすると、そこにまた想いが宿るでしょう。すごい可能性を持ったくまなんですよ、この子たちは。今後はそうした仕事ももっと受けていきたいですね。

2013.4.17