物語後編

「ここにいていいんだ」と思える場所をつくりたい

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2012年6月、女川町鷲神浜地区につくり手さんが集まる作業所が建ちました。名前は「うみねこハウス」。布草履を編むだけでなく、お茶っこをしたり、小さな講習会を開いたりできるスペースです。

八木さん:元々女川にあった集会所は流されてしまったので、その代わりに地域の人がふらっと集まれるたまり場になれば、って。自分の居場所、「ただいま」って帰ってきて、「いつでもここにいていいんだ」と安心できる場所って、誰にとっても必要だと思うんです。

食べものがあったほうが気軽に立ち寄れるだろうと、たい焼きの販売も始めました。「甘いものがいいな」と構想を練っていたところ、ちょうど東北を支援したいと考えていたたい焼き屋と知り合い、指導していただくことに。せっかくなら女川独自のものにしようと、女川の特産品であるサンマを象った「サンマ焼き」も開発しました

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八木さん:そうやってお母さんたちはどんどん楽しみややりがいを見つけていますが、残念ながら今はそのためにお父さんたちが一人になってしまいました。だからいまはお父さんたちを動かそうと、果樹園づくりに着手しています。

テーマは「今日と違う明日」。何かを育てると、昨日1つしかなかった実が、今日は3つになっている。次の日は5つ・・・と、変化していくでしょう。いまはきっと、そういうことが必要なんだろうと思って。あと、力仕事だと「やっぱりお父さんね」となるでしょう。頼られると嬉しくなって気力が湧いてくるかな、と。

八木さんの父親は元漁師。年を取って海に出るのが難しくなり引退しましたが、やはり自然を相手にするのが好きらしく、畑いじりをはじめたそうです。震災によって船や道具を失ったのを機に仕事を辞めた高齢の漁師の方もきっといるでしょう。そういう方々にとって、果樹園づくりは新たな生きがいになるかもしれません。

八木さん:育てる果樹は、イチジクとブルーベリーを考えています。高齢の方でも安全に世話できるように、実が軽くて、背があまり高くならないもの、という基準で選びました。

ブルーベリーは、生クリームと一緒にたい焼きに挟んで出したらどう?と考えてます。自分達で育てたもので商品開発をして、6次産業化していきたい。そうすれば、「女川で面白いことやってる」ってブームになって、人が観光に来てくれるかもしれませんよね。

今ここから、自分たちの手で、女川の特産品をつくっていく。女川で暮らす人々は、そういった気概を持って一歩ずつ前進しています。

自分にできることを拾い集めていった

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子守りサポート、高齢者の生活支援、ものづくり、場作り、果樹園の整備、特産品の開発…こうして並べると、八木さんの活動の幅広さには驚かされます。

八木さん:時々「何がやりたいの?」と言われることもありますが、自分がやりたいとかやりたくないとかではなくて、そのときの状況に合わせてできることをやっていった、という感じです。

必要なときに、必要なことを。それが八木さんの大事にしていることです。現在はママサポーターズを一般社団法人にするべく手続きをしている真っ最中。活動内容に合わせ、名称も変えるかもしれません。また、今までの取り組みを本のような形でまとめたい、という密かな想いもあるそうです。

八木さん:私たちの活動には、80歳を過ぎている人たちが一割位います。そういった高齢の人が初めてのことに挑戦するっていうのはそんなに簡単じゃないでしょう。葛藤しながら続けてきて、布草履やたい焼きをつくれるようになって。

津波に飲まれて自分のいのちもあぶなかった人たちが、なんとか奮起して頑張ってここまで辿りついた。そういった足跡を残していきたいんです。残しておかないと、あとから振り返ることもできないから。

東日本大震災という恐ろしい災害に見舞われた人々が、何の技術も知識もない状態から学んでいき、新たなものを次々と生み出していった。その軌跡は、たくさんの人に勇気を与えるものではないでしょうか。

八木さん:ぜっっったいに、みんな何かできるはずなんですよ。
震災後、「自分に何ができるんだろう、助けになるのかな」という声をたくさん聞きました。でも、主婦の方だったら炊き出しができますよね、避難所の片付けができますよね。それも大きな助けになるんです。

先日、野草に詳しい方がうみねこを訪れました。道ばたに生えている草で、食べられるものと食べられないものがわかるそうです。本人は「そんなこと」って思っているんですが、私にしたらそれってすごいことですよ。講座を開いてもらいたいくらい。

何もできない人なんていなくて、目の前に自分にできることが必ず何かあるんです。今回、私の行く先にはたまたまそれがいっぱい落ちていて、拾い集めていっただけです。

物語が紡がれ、全国の人と繋がっていく

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とても精力的に活動している八木さんですが、「もうやめてしまいたい」と思ったこともたくさんあるそう。アイディアに詰まったとき、製品が売れなくなってきたとき、つくり手さんに気持ちが伝わらなかったとき。どうしようもなく落ち込んでしまうこともあるし、トラブルが起こることもあります。でも、それ以上に嬉しいことがあるから続けていけるといいます。

八木さん:「明日生きられるかわからない命だ。手術をするときに布草履があれば勇気づけられる、元気になって戻って来れると思えるから、どうか送って下さい」「今月オランダに旅立ちます。旅立つ前に布草履がほしい」——そんなメッセージがたくさん届くんです。そんなふうに思ってくれるの、これを励みにがんばってくれるのって、じいんとして。つながっているんだな、こちらもがんばらなきゃなって思います。

幼稚園から園児用の布草履を20足頼まれて送ったときは、学期の終わりに園児が自分で「ばあちゃんの布草履ごしごしごし、黒い汁出ろ出ろ出ろ」って言いながら洗っていたと教えてもらいました。ものが豊富な時代に、そんな風に大事にしてもらえるなんて、ありがたいですよね。その様子を送ってもらってつくり手のみなさんと一緒に見たんですが、「わあ、涙出る」って、みんな感動しちゃって。

自分のつくったものが、誰かにとってかけがえのないものとして大事にされること。それは、つくり手にとって何より嬉しいことです。あたたかいメッセージやエピソードが届くたび、メンバーは励まされているそうです。

八木さん:「自分が送ったTシャツでつくられた布草履と再会しました」なんて声をいただいたこともありました。もうぼろぼろになって着られないけど、思い出があるから捨てるには忍びない。そういうものってありますよね。それが布草履として新たに生まれ変わると、Tシャツを送ってくれた方も嬉しいみたいで、とても喜んでもらえました。

届いたTシャツ一枚一枚にそれまでの歴史や物語があり、それが布草履となってこれからまた新たな物語を紡いでいく。ものを通してさまざまな人がつながり、前に進んでいく。

八木さん:たかが布草履、されど布草履、ですよね。これに携わらなければそんなことわからなかった。面白いから、楽しいから続けられるんです。

2013.1.25