つくり手インタビュー
お母さんたちは、OCICAにどんな想いを込めてつくっているのでしょうか。
つくり手のひとり、平塚寛子さんにお話を伺いました。
浜の人たちが仕事を教えてくれた

——牧浜のお母さんたちはみんな優しい人たちばかりですね。
そうでしょ。私ももともと牧浜の人間じゃないんだけどもね。旦那の親が牧浜で牡蠣養殖の仕事をしていて、結婚してこっちにきて。それで私も牡蠣剥きの仕事手伝うようになったんです。牡蠣剥きなんて初めてだから、地元の皆さんに教わって。百合子さんとか、けいこさんとか、ここにいるメンバーにね。みんな本当に、親切に教えてくれたのよ。
——何年くらい牡蠣剥きの仕事をされていたんですか?
22〜23年はやったかな。地元の人たちはもっと古くからやっているんですけどね。でも、今度の震災で辞めた人も多いですよ。うちも含めて。
——それは養殖の仕事がなくなったから?
そう。岸壁もあの通りひどい状態で、船を流された人もいるし、共同で牡蠣剥きをやっていた作業場も流されて。とにかく全部なくなったから。いまは少しずつ再開していて、戻る人もいるけどもね。震災後しばらくは、瓦礫撤去の仕事に毎日通いました。収入はそれしかなかったから。
「これからどうして生きていったらいいんだか」って、先が見えないと言うか、不安でしたね。それはどんな状況の人も、みんな同じじゃないかな。同じ不安を抱えていたと思います。
——OCICAの作業に参加するようになったのは、どういったきっかけからだったんですか?
牧浜の区長さんから、「鹿角を使ってものづくりをする仕事があるから、やりたい人は集まってください」って呼びかけられて。それでつむぎやのメンバーに出会ったんです。会ってみたら、みんな若くて!娘・息子みたい。インターンの大学生の子なんて、孫だよね。
——外から来た人が何かすることに対してよい印象を持たない人もいらっしゃいますが、それはなかったんですか?
だって、震災のあと、ボランティアさんがいろんなところから来て、手伝ってくれた、何してくれたって、みんなお世話になってるもの。私の家だって片付けてもらったしさ。だから外から来たなんて関係なくって、かえって「こんなところに来てくれて」って感謝してますよ。それに小遣い程度でも、収入のきっかけをつくってくれたっていうのは嬉しいことだから。
——寛子さんはなぜ、この活動に参加しようと思ったんですか?
私は元々手芸や編み物が好きだったから。久々にやってみたら「あぁ、私は前からこういうの好きなんだよな」って、思い出しました。
初めてOCICAを見た時、「綺麗だな」と思った
——OCICAが今の形になるまでには、試行錯誤されていますね。
そう、糸も何を使うとか、鹿角をどういう形にするかとか、色々話し合って。最初はストラップとかキーホルダーとかつくってたんだけど、私たちにはそっちのほうが難しかったの。細かい金具使うでしょ。
——デザイナーさんがOCICAのデザインを提案してくれた時、どう思いましたか。
「わあ、綺麗だな」って。「いいなぁ」と思いましたよ。
——「難しそう」とは思いませんでしたか?
うんうん、思った。「えーこれどうなってるの?」って。ヤスリがけだって、最初はどこまで磨いたらいいのか加減がわからなくて。自分では「これでいい」と思っても、「もう少し磨いて」って。チェックの時、何回もやり直しになりました。
——何度もやり直しになると、嫌になっちゃいそうですね。
そうそう。「なんで何回やってもダメなの、嫌んなっちゃった」って、みんな。
でも、自分でつけるものじゃなくて、売り物だものね。商品だから。お金もらうのにいい加減なもの作れないから、一所懸命教えてもらって、夢中で覚えて。みんなたぶん、そういう想いでつくってるんじゃないかな。
——途中で投げ出したくなることはありませんでしたか?
うん、途中はやっぱり、あったかな。でも、辞めたらここに来る口実がなくなっちゃうから。仮設住宅に住んでいる人同士は、何も用事がなくても会えるでしょ。私はOCICAの作業がなければ来る機会がないから。みんなで会って冗談を言い合って、お茶っこする。それもOCICAに参加してる目的のはんぶん。
——もうすぐ1年になりますね。皆さん上達されましたか?
それはもう。磨きも早いし、糸を巻くのだって、手つきからして違うっちゃ。自然と手が無駄のない動きをするんだね。みんな、プロだよ。OCICAづくりのプロ。最初は手がつりそうだったし、何度も間違えたのよ。今は模様見ただけでどこが欠けてるかわかるようになって。みんなほんとに、たいしたもんだよ。
みんなが自然と助け合う場

——作業工程も、お母さんたちで工夫して改良していますね。
やっぱりみんな、「やりやすいようにやりやすいように」ってさ、四苦八苦して。作業のあと、みんなでコツを教え合ったりするのね。「私こういう風にやってるのよ」って。「なんでもっと早く教えてくんねの」なんて言われたり(笑)
——みんなでより良い方法を考えたり、役割分担したり。そういうのが自然にできる雰囲気っていいですよね。
そうそう。私は糸のこ使えないから、みどりさんに頼んで。それでみどりさんが遅れると、その分をこっちでやったりとか。助け合ってうまくやってます。
よしこちゃんだって「今日は私がやるよ」って自分からミシンがけをやってくれたり。「誰が何をすべき」とかじゃなくて、周りを見て「あぁここ手伝わなきゃなんねな」と思ったことをやる。自然とそうなってるね。
やっぱり今まで仕事してきた人たちだから、いちいち「手伝って」って言わなくても、お互いさまで手伝うんだよね。浜の人たちはみんなそういう風にやってきてるから。この仕事だって、誰っつうことなく助け合って。そういうのはすごくいいなぁと思って。
——その場に必要なことを、それぞれが自然とやる空気があるんですね。
そう、年上だからどうのこうのっていうこともないし。お互いに持ちつ持たれつで。ひとつの浜っていう狭い地域で一緒に仕事していると、自然とそうなるのかなぁって思います。
買ってくれる人の顔を思い浮かべながら
——つくっている時に大事にしていることはありますか?
やっぱり丁寧にっつうか、なんぼ慣れてきても、最後の最後まで、雑に扱うことはできないから。それと、買ってくれる人の顔が、「わぁー、綺麗だね」「可愛いね」と明るくなったらいいなって想像しながら。
私ね、2回売りに行ったことがあるの。お客さんの顔を見て売ることができたから、なおさらにそう思えるようになって。
ピアスって小さいから、正直つくるのは大変なのね。細かい作業だからさ。だから「もっと大きければいいのに」って思っていたんだけど、若い子たちが「わぁー可愛いー!」って言ってくれるのね。そうするとやっぱり、嬉しいっちゃ。
「んだよー、これね、私たち一生懸命つくったんだよー」「えーお母さんがつくったんですか」「そう、ここにマークがあるでしょ、“丸ユ”って書いてあるのが私のなんだよ」「じゃあ私それ買います!」って、話するの。
こういう経緯があって、こんな行程でつくってて、って説明するとね、最後までちゃんと聴いてくれるの。真剣に。それがすごくさ、嬉しくって。
若い子には「このおばちゃん、うるさい」なんて思われるんじゃないかなって思ったんだけど、真剣に聴いてくれるから、「へぇ私考え違いしてたんだな」って。本当にとにかくいい体験して、それからもっとつくるのが楽しくなりましたよ。手づくりって、想いが込められていいなと。
——それが手仕事の良さですね。
そう、手づくりって温かいでしょ。ほんとうに1から最後まで、私たちが手を動かして完成するものだから。同じものはひとつもないっていうのも貴重だと思うのよね。
ここに見学に来る人も多いけど、やっぱり行程を見てもらって、自分で手を動かしてつくってもらうと、「あぁこんなに手がかかってるんだ」と言ってくれるのね。そうやってわかってもらえると嬉しく思いますね。
——今後はどうしていきたいですか?
とにかく続けていきたいね。いまがすごく楽しいから。
このままとにかく、1日でも長く続けていきたいなと思います。
製作工程
毎週火・木の午前10時。作業所に、お母さんたちが集まりはじめます。
その日にやる作業をみんなで共有して、作業開始。
「作業現場を見たい」「手伝いたい」という人が
いつも何人か来るので、自己紹介をしてもらいます。
こちらが材料の鹿角。地元猟友会の猟師さんたちが集めてくれます。
鹿角を輪切りにし、ドリルで中央に穴をあける作業は、
アクセサリ−職人を目指している若者に
お願いしています。お母さんたちの作業は、ヤスリがけからスタート。
紙ヤスリは3種類。目の粗いヤスリから順に使い、
表面の汚れや傷をとり、綺麗に磨いていきます。
地味な作業ですが、お母さんたちは「この作業が一番大事」と口を揃えます。
鹿角に光沢が出るまで丁寧に磨くと、仕上がりに差がでます。
「最初はどれくらい磨けばいいのかわからなかったけど、
今は勘でわかるのよ」とのこと。
パーツが小さいので、素手でヤスリがけをしているときに
皮膚をこすってしまうこともしばしば。
「指の皮が厚くなっちゃったわ」と笑うお母さんたちですが、
少しでも作業がしやすくなるようにと、
鹿角の加工を教えてくれた阿部勝四郎さんが磨き台を作ってくれました。
ここに鹿角を置いて上からヤスリがけをすれば、皮膚をこすることもありません。
阿部さんは「師匠」と呼ばれ、親しまれています。
表面を粉状の研磨剤で磨いていきます。
「爪みがきと同じ要領ですよ」と教えてくれたのは、
最年少のお母さん。30歳になったばかりですが、4人の子どもがいるそう。
電動糸のこで側面に切り込みを入れます。集中力が必要な作業です。
少しずつ鹿角をずらしながら1.2~1.3mm間隔で切り込みを入れるのは、
職人技と言ってもいいでしょう。
糸のこを使えるお母さんは、はじめは2人だけでしたが、
今は数名の方が自主的に練習を重ねています。
糸は漁網の補修糸を使っています。色は赤、青、茶の3種類。
鹿角に巻き付ける糸とネックレス部分に使う糸は、
違う太さのものをつかっています。
てっぺんに穴をあけて、首糸を通します。
最初は手でやっていたので時間がかかりましたが、
お母さんたちから「糸通しを使った方がいいんじゃない」と声が挙がり、
使ってみたところ作業が格段に早くなったそう。
作業場は小さなイノベーションの連続です。
糸を交差させながら、ひとつひとつの溝に巻き付けていきます。
緩んで糸が外れてしまうことがあるので、ぎゅっと力を入れて。
お母さん達の動きは無駄がなく、リズミカル。
「最初は大変だったんだから。完成してから、あーひとつかけ忘れちゃった、
なんて気づくこともしょっちゅう。今はどこかおかしいとすぐわかるのよ」。
最初に糸をかける場所によって、中央の穴の大きさが変わります。
規格は5mm以上。ドリームキャッチャーなので、
穴が小さいと良い夢が通らなくなってしまいますからね。
ぐるりと2周したらできあがり。「同じものはどこにもない、世界にひとつだけ。
それが手づくりのいいところよね」とお母さん。
でも、商品として売るには、これだけではまだ不十分。パッケージが必要です。
こちらは地元・宮城県産の米袋の紙に、
半透明のフィルムを縫いあわせて、
製品を入れる袋を作っているところ。
ミシンを操り目にも留まらぬ速さで仕上げて行くのは、よしこさん。
そのあまりの速さに、「走り屋」という異名をつけられました。
台紙に首紐を巻き付けて袋に入れ、シールを貼ってようやく「売り物」に。
ちなみに、台紙の右下には屋号が入っていて、
誰が作ったものかがわかるようになっています。
これがその判子。全員分揃っています。
完成!あとは、販売店に送るだけ。喜んでもらえる人の手に届くよう願って。
「こうするとやりやすいのよ」—ー
お母さんのひとりが金具の取り付けのコツを話すと、
全員が身を乗り出して話を聞きはじめました。みなさん、真剣な表情です。
「だって、みんな少しでも上手になりたいと思ってるもの」。
作業終了後には、“お茶っこ”をします。
単語の後ろに“〜こ”をつけるのがこの辺りの方言で、
お茶会のこと。毎回、お母さんたちがちょっとした手料理を作ってきてくれて、
みんなで食べるのです。明るい笑い声に溢れた、温かな時間です。
「毎週2回、みんなでこうして笑い合えるのがとっても楽しみ」とお母さんたち。
「こういう場を作ってくれて、本当にもう、感謝ですね」。
2012.9.25