物語前編

かつて亘理では、人にお米などを贈るとき、感謝の気持ちを込め、着物のはぎれでつくった袋に入れて渡していました。特定の呼称はなく、ふくろが訛って“ふぐろ”と呼ばれていたといいます。

震災後、この“ふぐろ”に新しい価値観を加え、『FUGURO』として現代に蘇らせたのが、亘理町立郷土資料館で働いていた引地恵さん。この活動を始めたきっかけや根底にある想い、これまでの軌跡を伺いました。

想いの込もった着物を捨てることはできなかった

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学芸員だった引地さんが、被災して建物を取り壊すことになった呉服店に資料調査に行ったのは、震災から半年が経過した10月中旬のことでした。呉服店の床や棚には、処分予定のたくさんの着物地が散乱していたといいます。

引地さん:震災前に、資料館の企画で着物について調べていたんです。地域の高齢女性たちからお話を聞き、着物に込められた人々の想いを感じました。母が織り、縫ってくれた着物。嫁入りのときに自分で縫って持参した着物。着物を着るときって、そこに込められた想いも一緒に纏うものなんですよね。それが心に残っていたので、どうしても着物地に惹きつけられて。このまま捨てられてしまうのはもったいないと思い、何のあてもなかったけれど、貰ってきました。

その一ヶ月程前から、引地さんは亘理町史編纂のため、民俗学の先生と一緒に亘理の風習や民俗を調べ直していたところでした。お年寄りのもとを訪れ、話を聴きとる。その中で、「昔は夜なべでつくった袋(ふぐろ)にお米を入れて贈っていた」というエピソードを教えてもらいました。感謝の気持ちを忘れずに形にし、贈ることを通して相手に伝えることは、亘理の人たちのあたたかさを象徴していると感じました。

引地さん:ぱっと結びついたんですよね。目の前にある生地と、“ふぐろ”の物語とが。再現して、つくってみようか、と思いました。

この閃きが、全ての始まりでした。

“ふぐろ”が『FUGURO』として蘇る

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時代の変化によって一度は消えてしまった“ふぐろ”をもう一度つくる。
・・・と言っても、そのままの形で復活させようとしたわけではありません。

引地さん:こういうのって、“古き良きものの再現”になりがちなんですよね。でも、どんなに良いものでも使わないと廃れてしまうんですよね。お米を贈るという習慣がなくなったいまでは、残念ながら“ふぐろ”は必要ないものなんです。
用途を変えるとか、デザイン性を持たせるとか、新しい発想を取り入れていまの時代に合うようにつくり直して、また人の手に回っていくものに蘇らせたいと思いました。

感謝の気持ちを込めて手づくりするこころ、ものを大事に使うこころ。
“ふぐろ”の根底にある想いはそのままに、新たな価値観を加えて世の中へ出したい。

引地さん:ただ、まちの中だけで新しい発想やコンセプトやデザインを考えようとすると、なかなか難しいんですよね。だから地方の文化や伝統を受け継ぐのは難しいのではないでしょうか。私たちも、狭い地域の、限られたネットワークの中だけでなんとかしようとしていたら、難しかったと思います。

震災後、亘理には大勢の方がボランティアにやってきました。亘理町のボランティアセンターを通じて出会った人たちが、引地さん達のものづくりへの情熱に共感し、デザイン面でのアドバイスや販売先の紹介など様々な形で力を貸してくれました。

引地さん:地元のおばあちゃんが持っていたふぐろを参考にして、自分たちで試作を繰り返していました。最初はリバーシブルで表も裏も着物の生地を使っていたんです。でも、両面柄物というのは特に目新しさもなく、相当センスがないとおかしな組み合わせになってしまう。生地の素材によって縫い方にもばらつきが出てきてしまいます。そこで、裏地は木綿の生地を使って揃えることにしました。

裏にさし色となるような鮮やかな色の布地を選ぶことで、ぱっと新鮮でおしゃれな印象になります。さし色と着物地の組み合わせは、アドバイスをいただいたり、色彩に関する研修を受けたりしながら「こういうのがいいんだ」とひとつひとつデザイン的な感覚を学んでいきました。

写真㈰こうして新しくつくった製品は、かつての“ふぐろ”と区別して『FUGURO』と呼ぶことに。形を整えて東京の復興イベントで販売すると、反応は上々。別のイベントにも出店しないかと声がかかり、その次は…と、どんどん広がっていきました。復興商品という枠組みを超えて百貨店の催事などで紹介されることが増えてきたそうです。「多くの人が協力してくれたおかげです」と引地さんは感慨深げに話します。

引地さん:地方では、よその人を受入れること、新しいことを始めることって勇気がいるんです。変化に対する抵抗がある。でも、震災によってやらざるを得ない状況になって、たくさんの人が出入りして心の中にあった垣根も低くなった。だから形にできたのかもしれません。
私自身、公務員をしながら平穏に暮らしていくのがいいと思っていたけど、いままでお会いしたことがないような人や触れたことがない考え方に出会って、自分の中でも変革があったんです。震災はもちろん悲しいことだったけれど、それによって生まれた出会いもあった。そういうことにフォーカスして、新しいことに挑戦してみようという気持ちが湧いてきました。

団体名は、『WATALIS』と名付けました。亘理と、“お守り”という意味の“TALISMAN”をかけた造語です。「亘理から多くの方々へ、感謝の心をお守りのように届けたい」という想いが込められています。

手から手へ、技術を伝えたい

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WATALISでは、FUGUROのほかに、『いちごストラップ』という製品も製作しています。
赤い着物の生地にビーズを縫い付けて緑色の飾り紐でぶら下げ、亘理町の特産品であるいちごを象った可愛らしい製品です。

引地さん:学芸員としてまちの高齢女性たちに聞き書きをしたとき、「あずき3粒包める布は捨てるな」という言葉を聞いたんです。必ず何かに使えるからって。中には糸くずまでとっていた方もいらっしゃって。そうすると、「あそこのお嫁さんは糸くずまでとっていて立派だ」って言われていたそうです。本当にものを大事にしていたんですね。

活動が進むにつれて、呉服店から譲り受けた着物だけでは足りなくなり、全国の皆さんからも着物を寄付していただきました。その中には、穴だらけでFUGUROにはできない子どもの着物もありました。おばあちゃんたちの言葉を思い出し、何かに使えないかと考えた引地さん。布面積が小さくてもつくれるものとして、ストラップを思いつきました。ヘタの部分は、伝統的な結び方である“うめ結び”をアレンジしたものだそうです。

引地さん:そういう伝統的な技術に触れる機会になればいいな、という想いもあって。結びって本当に色々あるんですよ。でも、日常の中ではあまり目に触れることってないでしょう。こういう時に、手を使って覚えられたらいいなと思ったんです。
町内の和・洋裁の学校にも昔は200人の生徒がいた時代がありました。当時は修得した技術で女性が働くこともできたんですよね。しっかり売れる製品をつくって産業として成り立たせて、女性の雇用を生み出しながら手から手へ技術を伝えていきたい、という気持ちがあります。

学芸員として働いていたころは、そういった伝統技術や文化に関する資料の保存や展示をすること、講座を開催することが引地さんの仕事でした。ただ、その時限りで終わってしまうことが多かったり、資料館に来ていただかなければ人には伝えられないことにジレンマを抱えていたといいます。

引地さん:資料館のようなありかたも絶対必要なんです。商品だと売れる・売れないに左右されるけど、資料館なら公的に守られているから、確実に次の世代に技術や文化を伝えていける。一方、商品としていいものをつくれば、伝統工芸などに興味がない人にも、「可愛い」と手にとってもらえますよね。両方のアプローチが必要だと思っています。

 

2013.1.23