東日本大震災から10年。ものづくりが被災地にもたらしたもの、取材を続けるなかで感じた葛藤、コロナ禍で改めて感じた価値を改めて振り返ります。
“毎年600匹前後“放流”して、同じくらい戻ってきますね。いろんな作品があって見ているだけでも楽しいし、メッセージを読むと励まされます。本当に、元気をいただける楽しいプロジェクトなんですよ。”
”お母さんたちは謎のこだわりを持っていて、編み物なのに「これじゃ美味しくないからダメだ」なんて言うんです。海で子どもたちを育て上げてきた、おいしい海の幸を全国に届けてきた、という自負があるから、編み物であっても妥協したくないんですね。”
“アロハシャツの起源は、ハワイに渡った日系移民の着物にあると知ったんです。その原点に立ち戻ったアロハシャツをつくろうと考えました。”
”販売総数は26万頭を超えました。まけないぞうは単なる商品ではなく、被災した女性たちと応援する人々をつなぐメッセンジャーなんです。熊本で被災した方にもまけないぞうをお配りして、双方からとても喜ばれています。最後の1人が「もう大丈夫」と言うまで、活動を続けていきます。”
”キテンの理念は、「地域の記憶に残る生業をつくる」というものです。関わる人たちにとって、地域にとって、この時代にとってどういう企業であるべきかを常に考えながら、自分たち自身が主体性を持って楽しんで仕事をしたい。”
“震災をきっかけに知り合えた人がいっぱいいます。支援してくれた方もいるし、会津の方にも良くしていただいたし。辛いこともあったけど、そればっかりじゃなかったね。”
”原発事故を経験して、「確実な未来なんてものはない」と痛感しました。それからずっと「想定外のことが起きてこれまでの常識が通じなくなるかもしれない」という前提を持ちながら物事を進めてきたので、コロナでもあまり動揺はしていません。逆に、変化に乗じて何かこの地域にとってプラスになるようなアクションができるんじゃないか、と考えています。”
“振り返ってみると震災後に「こんなことができたらいいな」とイメージして口にしてきたことは、大体実現してきています。いろんなことを考えて試していけば、今回も何とかなるんじゃないかと思っています。”
”震災の翌日に来てくれた子、仕事に誇りを持っている子に、「事業が無くなったからもう来なくていいよ」なんてとても言えなくて。腹を括って会社を辞め、起業しようと決意しました。”
"蚕種づくりから養蚕、真綿づくり、糸紡ぎ、織りまで、すべての工程を県内で一貫して行えるのは、福島だけ。地元にそうした伝統ある手仕事が残っていることを知って、誇りに思ってもらえたら嬉しいです。”
“声をかけていただいて、その気持ちに応えたいという一心で頑張ることができたんです。それがなかったら、商品も生まれていないし、ここでも活動できていません。”
”みなさん一所懸命に集中して刺していましたが、ぽつりぽつりと「ハマナスが咲いていてね、とっても綺麗だったんだよ」「家族で散歩しているときにカニを見つけてね」「砂浜でうずまき貝を拾ったんだ」と、思い出を話してくださって。帰り際に「楽しいこともあったんだって思い出したよ」と言ってくださった方もいました。”
“つくり手さんたちは、生活が大変そうなママに出会うと、「一緒にいっしーをつくらない?」と声をかけてくれるんです。被災した人が被災した人を助けるプロジェクトになったんですね。それがすごく嬉しいんです。”
“いまでも京都や大阪、横浜のイベントで販売してもらっているし、アメリカからも注文が来ます。みなさんのおかげでここまでやってこれました。本当は一人ひとりにお礼をしたいけどそれもできないから、『元気で頑張ってますよ』と伝えられると嬉しいです”
“女性たちは、苛立った男性やストレスを抱えた子どもたちから感情をぶつけられていました。だから、お母さんたちの支援をしようと考えたんです。女性を元気にすることが、男性を支え、子どもを安心させることにもつながる、と思って。”
“私とおばあちゃんたちだけでやっていたら、こんなにたくさんの人とつながることも、活動が広がることもありませんでした。JUNEさんがいたからいまがあると思っています。”
”次男がヨルダンに作品を運んで「七ヶ浜のおばあちゃんたちも全部を失ったけど、あなたたちのためにつくったよ」と伝えたら、みんな涙を流したそうです。「世界中から忘れられたと思ったのに、まさか日本のおばあちゃんが、それも被災した人たちが心配してくれていたなんて」って。”
“このあたりでは、田植え前の忙しくない時期に、お母さんたちが「今年も豊作になりますように」「家族が病気になりませんように」と地域の神社をお参りするんです。そのときお供えものを入れる巾着が「およね袋」です。”
“これなら歳を取ってからも続けられるし、楽しみをつくってもらったな、と思います。週1回のこのミーティングも楽しいし、風が吹こうと雨が降ろうと集まってますよ。”
”私たちの自慢はね、先生もいない、レシピもない中で、自分たちで考えて作品をつくってきたこと。編み方もね、隙間ができたりのびたりしないように工夫しているんですよ。それと、いまでも続けていること、ですね。”
”ここに来たら自分の席があって、持ち寄ったお弁当を食べて、縫いながらみんなとお喋りして。心の張り合いになってるんじゃないかな。8年間毎日のように顔を合わせて、もう家族のようなものですね。”
“縫い手さんのお子さんから感謝されることがあるんです。「母は地元に帰りたがっていたのに自分の都合で盛岡に留まらせてしまったので負い目を感じていたけれど、楽しそうにぞうきんを縫っている姿に救われました」って。”
“樹皮の厚さが変わると均一につくれないんですよ。技術も必要だけど、半分は材料で決まるな。山に行くときからね、質のいい皮はツバつけとくの(笑)。”
“岩手ではね、昔はおいしさを表すときに「クルミ味がする」って言っていたんですよ。食が豊かになるにつれてそういう表現は消えてしまったけど、私はやっぱり和グルミは最高においしいと思っています。”
活動を続ける中で浮上したのは、「ビジネス的な側面とコミュニティ的な側面が混在していることによる難しさ」。「仕事として、しっかり技術を磨いて稼ぎたい」人、「みんなで集まって楽しむこと」を主目的に置く人。どちらの想いも尊重するため、団体を2つに分けて運営していくことにしました。
“東京に行くのが楽しみだし、いろんな人に会えることが楽しみなんですよ。帰りは必ず日暮里の繊維街に寄って、生地を買うんです。自分用はもちろん、来年の作品展はこの生地で服を縫いましょう、バッグをつくりましょうって。”
“体を使う仕事なので体力的にはきついけど、今後の広がりにわくわくする気持ち、高揚する気持ちのほうが上回っています。藍を通していろんな人たちとのつながりができていくことが嬉しいし、未来が楽しみだなと感じることがいっぱいあるんです。”
アパレルブランドからの支援を受け、木造の工房を2棟建設。人気ブランド「ミナ・ペルホネン」の小物縫製を請け負い、工房を続けていく見通しが立ちました。
”お金にならないからとやめてしまったこと、効率が良いからと進めてきたこと。その結果として原発事故が起こって、故郷を失って、家族や友人との絆を失って、心を失って。だからせめて、本当の豊かさってこういうことだよね、と思うものを形にして、次の世代につないでいけたらと思っています。”
“娘に、「あなたが経験させてくれたから、お母さんはみんなの気持ちがちょっとだけわかるよ。だから、あなたに感謝だね」と語りかけました。”
“福祉って閉鎖的になりがちだし、未だに「可哀想な人たち」という目で見られることもあります。でも、実際は可能性を持った個性豊かな人たちが楽しみながら働いているんです。”
“羊の牧場にウール工房を併設することが一般的になって、どこを訪問してもその牧場ならではの糸やセーターが並んでいる。そうなったら素敵だなと思います。その中でも私たちは、世界一の手紡ぎ糸屋になりたい。自信を持って人に勧められる糸をつくりつづけていきたいです。”
“妻がね、寝たきりになっちゃったの。家が流されたりするのを見たショックからか、急にバタバタバターっと体調が悪くなってしまって。だから、家でできるこの仕事はすごくありがたいんですよ。これがなかったらどうなっていたことか。”
“思い出のネクタイでテディベアをつくるワークショップを開催することにしました。講師を務めるのは、首都圏に避難している女性たちです。ワークショップを通して、あたたかな交流が生まれました。”
”草木染や絣といった日本の伝統技術が詰まった貴重な素材が現代的な製品として蘇り、日常的に使われる。そして、それによって被災した方々が小さな工賃を手にする。前に進む力のひとつになる。それが本当に、喜びでしたねぇ。”
”お前が帰ってきたら誰かの分をひとつ、住むところをひとつ取ることになる。だからその分、人の3倍やらないと許さないからな、と言われたんです。その言葉が活動の原動力になっています。”
“いい顔をしているんですよね、職人さんたちが。本人たちは全く気づいてないけど、とてもいいパワーや生きがいを、私や周囲の人に与えてくれているんです。”
”たくさんの命が失われたことが悲しくて悔しくて、その分いっぱい産もうと思いました。でも、私ひとりだと限界があります。だから、石巻を子育てが楽しいまちにしようと決心したんです。そうすれば、また命が溢れるまちになるだろうから。”
“「実は扉を閉じたところにいられないの」とか、「朝じんましんがひどいんだ」とか、明るく振る舞っている人でも何かしら抱えていたりするんです。自宅でできるものづくりで少しでも収入を得て、社会とのつながりを保てたらと思いました。”
東北マニュファクチュール・ストーリーのイベントがきっかけとなり、東北に新たなブランドが誕生しました。第一弾商品は、『Rinn products』のヌメ革製ベルトに『編*花』をつけた、お洒落なドッグカラーです。
”勝手な願望かもしれませんが、震災前よりもいいまちになれば、亡くなった方も喜んでくれるんじゃないかと思うんです。私たちも、数年後に振り返ったとき、「あのときは本当に辛かったけど、いいまちになってよかったね」と言えたらいいな、と。”
どちらか一方が無理をするのではなく、売上や状況を共有して、続けていくためにどうすればいいか一緒に考える。状況に合わせて役割分担や運営体制を変えていく。それが継続するために大事なこと。
震災から6年弱、地域の状況も現地のニーズも変化しています。「プロジェクトをいかに続けるか」だけでなく、「プロジェクトをいかに終わらせるか」もまた、今後の東北において大事なテーマになってくるかもしれません。
“タイにさをり織りを広めたお坊さんがね、「タイでは心的外傷後ストレス障害の薬はいらない」って言っていたんですよ。手仕事に集中する、人と交流する。それが一番の薬だって。”
“「MONKEY MAJIKにできることは何だろう?」ーーそう突き詰めて考える中で、「既にいい製品をつくっている人たちを探し出し、東北の外に発信する役割を担おう」という結論に行き着きました。”
“震災を経験して、「いつ何が起こるかわからないから、本当にやりたいことをしよう」と思いました。いまの目標は、NRCを地域の若者が働きたいと思える会社に育てていくことです。やっぱり、震災前よりもいい町にしていきたいですから。”
“主婦ってつい子どもや家族のことを優先して自分のことは後回しになりがちです。でも、お母さんが明るく元気でいることが、家族の支えにもなるんです。だから、「自分が元気になれるものって何かな?」と考えて、防災セットに加えてほしいです。”
“プロジェクトを続けたことで、熟練した編み手さんが育ってきたんです。それも何十人も。これはもう、ひとつの財産ですよね。そう捉えたときに、新しい道が見えた気がしました。”
”注文してくれた方のことを思って合う布を探したり、配色を考えたりするのは楽しいし、そうして形になったものを気に入ってもらったときは「ああ、手間を惜しまなくてよかった」と嬉しくなります。気持ちを込めて一所懸命つくったものって、ちゃんと伝わるんですよね。”
“「こんなところに住むなんて非現実的だ」とネガティブな印象を抱いている人もいるでしょう。でも、「一旦住民がゼロになったところから、新たに町をつくる」という経験ができる場所なんてほかにありません。”
“原発事故によって、福島の林業は大変な状況に置かれてしまいました。加工技術を持つ私たちにできることは、魅力ある製品をつくって県産材をPRしていくこと。そう考えて、製品開発に乗り出しました。”
“震災がなければ、自分たちだけの狭い世界で暮らしていました。こうして放り出されて初めて、人とのつながりがいかに大事かわかったんです。だからもう、感謝しかありません。”
“青木地区は「会津木綿村」と呼ばれるほど会津木綿の生産が盛んだったんです。質の高さや生産量から、青木木綿といえば会津木綿の代表格と言われていました。先日、廃工場から当時の織り機をもらってきました。またこの地で青木木綿を織ることがいまの目標です。”
“パールは古くから女性のお守りとして身につけられてきました。パールを使ったものづくりは、女性支援にぴったりだと思ったんです。つくり手のお母さんたちだけでなく、購入してくれた女性の幸せも願う製品でありたいと思っています。”
“「ほどーる」とは気仙沼弁で「あたたまる」という意味です。名前の通り、ものづくりを通して全国の方々と心あたたまる交流が生まれました。応援してくださっている方々の気持ちにお応えして、長く続けていきたいと思っています。”
”気仙沼が好き、気仙沼の良さを伝えたい、という気持ちだけでここまでやってきました。だから、製品を見てくれた人が「気仙沼ってどんなところなんだろう」とか、「懐かしいな、久しぶりに行ってみようかな」と思ってくれたら、それでもう大満足なんです。”
“ずっと支援の対象でいちゃいけないし、貰った恩は返さないと。「あの工房さ、俺が支援したんだよ。最初はボロい古民家で石けんつくったのに、まさかこんなに立派になるなんてな、すごいよな」って誇ってもらえるような工房にしたいんです。それが一番の目標ですね。”
“ネットに馴染みのなかった60代、70代のおばちゃんたちがスマホを買ってフェイスブックを使いこなしているんです。材料も、「何でもいいから支援してほしい」ではなく、「買うからいい生地を送って」と言われます。気持ちが前向きに変化しているんですね。”
ものづくりが必要とされた理由や、ほかの地域での展開可能性。東北マニュファクチュール・ストーリーの取材を通しておぼろげながら見えてきたことを、震災から5年の節目を迎えるいま、改めて紐解いてみようと思います。
”関東大震災を経験した東京も、原爆を落とされた広島・長崎も、かつて大きな災害に見舞われた地域は復興してより大きなまちになっています。いわきもそれに倣いたい。自分たちならではのことを仕掛けて、よりこのまちを発展させたいと思っています。”
”ただ文句を言うだけでは何も変わらないし、何かしないと世の中の流れに飲み込まれてしまう。こんな状況になってしまった福島だからこそ、新しいことを始めて発信していかないと、と思いました。”
”ホットパックを抱いて布団に入るとほかほか温かくてぐっすり眠れるんです。この気持ち良さをたくさんの人に味わってほしいと思いました。”
“こういう活動をしていると、「偉いね」って言われたり、ボランティア精神に溢れた人に見られたりするんですが、「違うの、そうじゃないの」って思います。だって、こんな風に社会と関わるのって、楽しいじゃないですか。「楽しいよ」って言いたいんです。”
"私たちがしたいのは、希望を渡すこと。人によって何が希望になるかは違いますから、一緒に暮らしながら考えます。「いま女川には何が必要?」「この人には何が必要?」って、いつも考えています。”
“立ち上げのときに「ビジネスとコミュニティは両立できない」と言われたけど、私たちにとってはどちらも大切で、どちらかに絞ることはできませんでした。失敗もたくさんしたけれど、ありがたいことにちゃんと利益も出ています。”
“家にひとりで閉じこもってばかりだと辛いことを思い出してしまうでしょう。「明日何して生きればいいんだろう」という人もたくさんいました。だから、外に出て、社会につながることをしないと、と思ったんです。”
“震災直後の夏、地元の人に話を聞くとみんな「忘れないでほしい」って言っていました。最初はピンとこなかったんですよ。「いや忘れられないけどね、あんな出来事」って。でも、5年後10年後、みんなの心から震災のことが離れていくことは想像できました。それに対して何かできたらいいな、と思ったんです。”
“気仙沼は都市部と同じように核家族化していて、子育てを相談できる人が近くにいないんです。以前は当たり前だった「三世代同居をベースにした子育て」に変わって、「職場をベースにした子育て」ができたらいいな、と思っています。”
“自分のこどもが生まれたとき、すごく感動して、「赤ちゃんって生命の象徴だな」と感じました。そんな祝福されるべき存在を危険にさらしたくない。おなかを空かせたくない。だから、赤ちゃんとお母さんを守る活動をすることにしました。”
“口コミで活動が広がっていき、「私も参加したい」という人がどんどん現れるようになりました。こうした活動を必要としているお母さんはほかの地域にもたくさんいるはずです。東松島のノウハウをもとに、石巻や仙台でも取り組んでいけたら、と思っています。”
“みんな「また馬鹿なこと言って」って笑います。でも、果てしなく遠い夢のほうが叶ったときにみんなを驚かせられるでしょう。私たち、本気で紅白を目指してるんです。”
“ウエットスーツの素材を触ってみたら、柔らかくて滑らかで、猫に似ているなと感じたんです。これで猫グッズをつくったら、支援していただいた全国のみなさんも喜んでくれるかもしれないと思いました。何かお返しがしたいと、ずっと考えていたから。”
“南三陸にはそんな状況下でも「私を助けて」ではなく、「あの人のほうが困っているからあの人を助けて」と周囲の人を思いやる方がたくさんいたんです。そうした献身的な姿勢や逞しさに心を打たれ、「この人たちと一緒に活動していきたい」と思いました。”
“大漁旗は漁師さんたちにとっても思い出深い大事なものですが、みなさん「置いておくより、活用してもらったほうがいい」と快く提供してくださって。完成したときは、お礼の気持ちを込めて一人ひとりにハンチングを贈りました。「これでずっと一緒ですよ」って。”
”気仙沼の風景は津波によってがらりと変わったし、復興が進むことで良くも悪くも変わり続けています。そのことにみんな寂しさを感じていました。それぞれが大好きな海辺の風景をキャンドルにして灯りをともすことで、気持ちが癒されるんじゃないかと思ったんです。”
“縦糸はご先祖さまから未来の子どもたちへと受け継がれていく時間の流れ、横糸はいまを生きる私たちの歩み。タペストリーに模様を生み出すのは横糸の仕事です。私たちの世代が何を行うかが重要なのです。”
”東北と全然関係ない人たちがここまでやってくれているっていうのに、俺は一体何してるんだろう。被災者だからって甘えてられないなと思って、廃業を取りやめました。”
“放射能汚染への懸念から福島県産農作物が敬遠され、農家さんも自分がこれまで真摯に向き合ってきた土に自信が持てなくなってしまっていたんです。直接津波の被害を受けていなかったとしても、この人たちは被災者なんだと思いました。”
“おのくんを、東松島のいろんなものを紹介できるキャラクターに育てたいんです。里親さんたちと一緒に意見を出し合って、楽しみながら活動をつづけていこうと思っています。”
"満開の桜並木や、朝陽で紅く染まった海。富岡が誇れるものといえば、四季折々の美しい自然風景なんですよ。いまは帰ることができないから、こころのなかにある故郷の風景を製品で表現しています。”
”私たちもそろそろ明日の夢を持ってみようと思います。双葉のみんなで力を合わせてがんばると決めました。ふたば製作所は使用済みの封筒でかばんをつくります。そのかばんに明日の夢をいっぱいつめます。未来はきっと笑顔でありますように!”
”誰も目にとめないものでもアイデア次第で再生、よりよいものに蘇らせることができる。付加価値やデザイン性、マッチングによって見え方は大きく異なる。それに気づかせるような閃きをかたちにすることが私の役目なのかな、と思っています。”
“震災が起こったときに「子どもたちの未来どうなっちゃうんだろう」と心配しましたが、東北でこうして活動してきて、少しずつ明るい未来への道が見えてきました。一連の出来事は、神様が私に与えてくれたんじゃないかな、って感じています。”
“誰かにとってはゴミゴミかもしれないカケラが世界にひとつだけのキーホルダーになり、その売上でこんな風に新しい場所が生まれた。これは本当にみんなのおかげだし、素晴らしいことだと思っています。”
“支援される側から社会に価値を提供する側になって、ありがとうのその先の未来を自分たちで築いていくこと。そんな未来をみなさまとつくっていきたいと思います。”
“私も地元を離れたけど地元のことが大好きだから、都会へ行ったまま戻ってこない人たちがいるのを寂しく思っていました。でも、震災を機に地元の様子を見に来たり、地元のために何かしようと考える人が増えたんです。イベントで地元の人に会うと、思いっきり方言が使えるんですよ。それが嬉しくて嬉しくて、涙が止まらないんです。"
“細かく繊細な手仕事に真摯に取り組むことができる東北のママたちと、デザインや企画、広報宣伝力を持つ東京のママたち。お互いのいいところを最大限活かせば、このプロジェクトは上手くいくと思いました。”
”このとき、事業のコンセプトが固まったように思います。みんなで何かつくるのは楽しいし、人がつながることに喜びがある。この体験を、すべての人に届けたいと思いました。”
“目標は、高い技術を持った人たちがちゃんとそれに見合った対価をもらい、仕事が回っていく状態をつくること。そして、東北の縫製工場が復興すること。そのときそのとき必要なことをして、関わっていきたいと思っています。”
”でも、福島には素敵なところもたくさんあります。そういうのをいっこいっこ認めていきたいって思いました。それが福島の女子たちのアイデンティティにもなるから。それには、福島の素材を使って可愛いものをつくったらいいかな、って。”
“大変な時代だもの、子どもたちに頼ってばかりもいられませんよ。「「年寄りだってやれることはあるんだよ、発電所だってつくれちゃうんだよ」って示したい。それで、「負けてらんないぞ」って子どもたちが思ってくれたら嬉しいね。”
“ここには、現実というものがありありとあるなと思いました。自然と共に暮らして来た人の話はほんとうにすばらしい。勉強させてもらっています。”
“お花を植えたとき、泥や瓦礫の風景の中に彩りが生まれて、道行く人の顔がほころんでいたんです。花を植えるという行為は「すぐに必要なこと」ではないけれど、人の心を和ませるんだな、と思いました。"
“ユーザーが何も考えなくても使える製品のほうが、売れるかもしれない。でも、震災を経験して立ち上がった工房だから、そんなことはしたくない。”
”地方ではまだまだ専業主婦が多くて、働いたことのない女性もたくさんいます。このプロジェクトは小さな活動ですが、自分で働いて稼ぐことの大切さや喜びに気づくきっかけになってくれたらと思っています。”
“むしろ、伝統工芸の中で、そんなことができるのは相馬焼だけ、という見方もできます。土地を失ってしまったから、なんでもできる。いや、なんでもやっていかなくちゃいけない。そうしないと、忘れられてしまうから。”
"あちこちにスペインタイルが飾られていて、その絵柄を見て会話が弾んで。まちの人も、観光に来た人も、散歩が楽しくなるように。ただの工芸品じゃなくて、まちの文化として育てていけたらと思っています。"
“いま、僕らは被災地と呼ばれているけど、いつ誰の地元が被災地になるかわからない。被災地でつくられたものをそばにおくことで、そのことを思い出してもらえたら。”
”お母さんたちの表情が、目に見えて変わっていくんです。ちっちゃくても希望があること、前に進んでいる感覚を持てることって、すごく大事だなと実感しました。”
“カフェでお茶をしていたら、ジェーンが近くの席を回ってプロジェクトの説明をしながら売り歩いてくれたの。少しでもamaたちの役に立ちたい、という気持ちが伝わってきて、じーんとしました。”
“南三陸の人たちから親しまれ、南三陸のことを外に向けてアピールする。微力ながら、オクトパス君が南三陸の広報のような存在になれば。”
“そういう人たちと出会えたっていうのが一番ね、これから生きていく上での励みになるっていうか…ほんとにね、私の一番の宝物です。”
“一人の人が一つの商品をつくることから始めて、それを流れ作業にすることによって何人かの仕事になり、企業へと成長し、同じような企業がたくさんできると産業になる。気仙沼の未来のために、新しい産業をつくりたいと考えました。”
”若い人ってすごいなと思いました。私が1歩進むうちに、5歩も10歩も進んでいるんです。でも、途中でちゃんと振り返って、1歩でも足を踏み出しているか、止まっているか、確認してくれた。だから、ついていくことができました。”
”すさまじい体験をしながらも、明るく前を向いているこの人たちだからこそ発信できるメッセージがある。
それを製品で表したいと思いました。”
“ガレキに対する考え方って、本当に千差万別ですよね。誰かの大切な遺品である一方、処理には時間がかかるし、受け入れ拒否をされたりして嫌がられてしまう。だとしたら僕は、目の前の仕事がない人のために活用できたらと思いました。”
“大事な人やものを失いずたずたに傷ついていた人たちが、ものづくりに携わるうちに、気持ちを取り戻していった。人の心を癒して前向きにする、手を動かしてものをつくることにはそういう力があるんですよね。”
”最初は、こんな面倒な仕事をお願いするなんて嫌がられるかなと思っていたんですが、「東北のために自分にできることをずっと探していた、工賃なんてなくてもやりたい」と言ってくれて、とても感動しました。”
“誰かに力を貸してもらって、自分の中から力が出て、それに押し出される。「じゃあやっていこうか」って進んできて、ようやく先が見えてきたのがいま。決して自分の力だけじゃないんです。”
" 何もできない人なんていなくて、目の前に自分にできることが必ず何かあるんです。今回、私の行く先にはたまたまそれがいっぱい落ちていて、拾い集めていっただけです。"
“「自分の役割だ」と思えるようなこと、人から「生きていていい」と肯定してもらえるようなこと。
被災地に必要なのは、そういう仕事なんじゃないか。”
“ベビーハンモックで抱かれていた子どもが、大きくなってハンモックブランコで揺られていたり、
そうやってハンモックが子どもたちを笑顔にして、周りの大人の笑顔につながったらいいな。”
“ちゃんと仕事として稼いでいきたい人もいれば、お金にならなくてもいいから、やりがいがほしい人もいる。
それぞれに合った応援の仕方があると思うんですよ。”
“僕の第一義は、現地の人のそばにいるということでした。
ここにいるということ、ここにいる人たちの役に立つということ。僕にとってはそれが一番やりたいことなんですよね。”