物語前編

『たろうベビーハンモック』は、日本語インストラクターの山本智子さん、ハンモッククリエーターの山本忠道(通称:みちやま)さん、ヨガインストラクターの伊藤万菜美さん、コンサルタントの兼安さとるさん、デザイナーの木村真理子さんの5人がプロデュースしている製品です。みちやまさんと万菜美さんは実行部隊として現地でハンモックの編み方を教え、ほかの3人は裏方のサポートを行っています。
プロジェクトが動き出したのは、2011年10月。万菜美さんのヨガレッスンで、智子さんとかねさんが出会ったことがきっかけでした。
地元のために、「何か」がしたい
智子さんの実家は田老の防波堤の目の前にありました。津波は防波堤を乗り越えて家を飲み込み、ご両親と祖母が帰らぬ人に。智子さんは大きなショックを受けたといいます。
万菜美さん:しばらく連絡がとれない状態が続いたんですが、半年経って智ちゃんも少しずつ落ち着いてきて、心身を整えようとヨガのレッスンに参加してくれました。そこで、「地元のために何かしたい」と考えていることを聞かせてくれたんです。
—復興につながる何かがしたい。でも、何を?わからない。わからないけれど、一歩前に進めるような、ちゃんと役に立つ「何か」。それは、震災後に多くの人が抱えていた気持ちではないでしょうか。
万菜美さん:その想いを拾ったのが、たまたま同じ日にレッスンに参加していたかねさんでした。かねさん(兼安さん)はもともと難民支援などの活動をしていて、知識やアイディアが豊富な方。智ちゃんの為に何かできないか考えてくれたようで、ある時みちやまに「こういうのやってみたら」とハンモックを使った現地の手仕事づくりを提案してくれました。それで、みちやま、かねさん、智ちゃん、わたしの4人でやろうという話になったんです。
みちやまさん:僕自身、東北のために何かできたらな、とずっと思っていました。ただ、ハンモッククリエーターとしてのプライドがあるから、単発でちょっと賑やかして終わり、というようなことはしたくない。でも自分にはハンモックしかないし、どんな関わりかたができるだろう…と考えていたときに、そういう話になって。僕にできることがあるなら、とやってみることにしました。
製品のコンセプトは、兼安さんが考えた素案をもとに、4人で話し合って磨きました。津波によってたくさんの命が失われた田老。地元の人達が少しでも明るくなるのには何が必要だろうか…。そう考えた時に、“誕生”というキーワードが浮かび上がって来たといいます。
新しく生まれてきた命をそっと包み、お母さんと赤ちゃんをしっかり結ぶハンモックスリング。糸は『東北コットンプロジェクト』をしている紡績会社から特注で仕入れた肌にやさしい天然草木染めのオーガニックコットンを使い、色は海の青と希望の黄色、うまれるいのちの白とお母さんの愛の桃色…と、大枠が決まっていきました。ここでデザイナーの木村さんがメンバーに加わり、一気に構想が形になっていきました。
1回目は30人、3回目は0人
「プロジェクトが素早く進んだのは、助成金の力が大きかった」と万菜美さんは振り返ります。
万菜美さん:ちょうど一ヶ月後に締切の助成金があったので、急ピッチでみんなの想いをまとめて申請しました。そうしたら、100万の活動資金をいただくことができて。じゃあこれをなんとか形にしなきゃと、すぐに行動しました。
自分でプロジェクトを回しているみちやまさんと万菜美さんは、あれこれ考えるよりもまずは行動に移すタイプ。実行部隊としてさっそく田老を訪問し、2011年12月、ミニハンモックの体験会を開催することになりました。
みちやまさん:この時は「ハンモックってつくれるの?」という感じで興味を持ってもらえて、かなり反応があったんです。8人の枠に30人位来ていただいて、断らなくちゃいけなかったほど。びっくりしました。
出だしは好調。まずは小さなハンモックをつくることから始めて、回を重ねる毎にどんどん大きくしていこう、と計画を練りました。
ところが、3回目の体験会では、参加者が0になってしまったのです。
万菜美さん:正直、寒かったというのもあると思いますけど(苦笑)
岩手の冬は東京の比ではない寒さなので、皆さん外に出たがらないそうです。また、東京で仕事している私たちが田老に滞在できるのはせいぜい2日間くらいで、その間に仕上げてもらうのは厳しい、という一面もあって。
これからどうしようか悩んでいた万菜美さんとみちやまさんに、たまたま訪れた地元の記者の方がアドバイスをしてくれました。「常運寺の住職のところに行ってみたら?」
常運寺は、津波をぎりぎり免れ、震災後しばらく避難所となっていたお寺です。住職は地域住民のことをよく知る“田老のご意見番”のような存在。万菜美さん・みちやまさんがやろうとしていること、困っていることを聞き、「仮設だけではなく町のほうでもやってみたらどうか」と提案してくれました。
外から来たから、仮設と町をつなぐことができた
田老では、津波に家を流された人々が町の中心部から車で20分ほど離れた『グリーンピア三陸みやこ』敷地内にある仮設住宅で暮らしていて、津波を免れた町の人と仮設で暮らす人の距離が離れてしまっていました。建物は残ったものの、人が減ってがらんとしてしまった町に残された人々。人が集う場がある一方、帰る家を失った仮設の人々。それぞれが複雑な気持ちを抱えていて、気軽に行き来できない空気があったのです。
万菜美さん:その状況を伺って、「もしかしたら町のほうがこうした活動を必要としているかもしれない。仮設だけに限定せず、両方でやってみよう」と考えました。四回目の体験会は、二週間滞在して町と仮設と交互に開きました。「この活動は、仮設だけじゃないんだ」と安心してもらえるかなと。
住職がほうぼうに声をかけてくれたこともあり、参加者数は回復。前回よりも滞在期間が長かったことが安心感を与えたのか、「今度は少し大きいハンモック作ってみよう」と、お母さんたちに前向きな姿勢が見えるようになったと言います。
みちやまさん:(仮設住宅の会場でも町の会場でも)最初は皆さんずっと津波の話をしているんですが、それを出し切ったら「むこうの人たちはどうしてるのかな」って気にしはじめて。僕が行ったり来たりしていたこともあったかもしれません。様子を伝えると、「あの人元気でやっているんだ」って。
町の人が仮設の会場に、仮設の人が町の会場に来ることもあったのでしょうか?
みちやまさん:一回だけ。町での最終作業日に「あと二日あれば完成する」という状態の人がいて、翌日は仮設の作業日だったんです。そうしたら、仕上げるために仮設に来てくれて。仮設の人と町の人が顔を合わせて、「あーひさしぶりー」って。あのときは、こう…なんとも言えない感じでしたね。
万菜美さん:もしかしたら、それが私たちにできることだったのかもしれない。ものをつくる、というのはもちろんだけど、町と仮設をちょっとでも近づけられる要素があったのかな、と。
こうした復興関連製品には、“その地域でとれる自然素材”や“仮設住宅に届けられた物資”を材料にしたものが多くありますが、たろうベビーハンモックの場合、外から購入して持ち込んだ糸を使っています。このため材料費が高いという難点がありましたが、“町と仮設をつなげる”という点ではそれがよかったのかもしれません。
万菜美さん:仮設住宅に届けられた物資を町に持っていって使う、というのは、もしかすると難しかったかもしれません。わかりませんけど…。どちらかにも偏っていなかったからよかったのかもしれない。ものが人を近づけた、と今になって思います。
2012.11.21