物語前編

「『IIE(イー)』ってどういう意味なんですか?」ーーそう聞くと、代表の谷津さんは「“311”という文字を逆さまにすると、IIEになるんですよ」と答えてくれました。
3.11をひっくり返す。あの日から生じた悲しみをひっくり返すほどの喜びを生み出していく。失った“大事なもの”をとりかえすことはできなくても、新しく“大事なもの”を築き上げていくことはできるのかもしれません。IIEがこれまで生み出そうとしてきたものについて伺いました。
会社の仕事に不満はなかったけど、復興の現場にいたかった

谷津拓郎さんは1986年に会津坂下町で生まれ、高校まで地元で過ごしました。卒業後は地元を離れ、新潟大学、早稲田大学大学院へ進学。震災が起こったのは、大学院を卒業し、地元NPOへの就職を控え実家に帰っていたときでした。
谷津さん:こっちでもかなり揺れたんですよ。帰宅難民が出ると思って、弟と一緒に車で駅に行って、送迎ボランティアをしました。実際は我慢強い方が多いので遠慮されて、結局送ったのは郡山から来ていた学生ひとりだけでしたけど。でもまあ、ひとりだけでも困っている人の役に立てたならよかったと思ってます。
震災当日のことを、谷津さんはそう振り返ります。その後3月いっぱいは、『元気玉プロジェクト』立ち上げのお手伝いや運営業務に従事したそう。直接的な被害はそこまで大きくなかった会津ですが、原発事故の影響を受け避難してきた人々を3500人以上受け入れ、仮設住宅が建てられていったのです。
毎日忙しく仮設住宅やその周辺で必要とされている仕事をこなしていましたが、4月には元々就職が決まっていた『NPO法人まちづくり喜多方』へ入社。避難者支援からは離れることとなります。
谷津さん:コミュニティカフェを運営している団体で、仕事は楽しかったし不満はありませんでした。ただ、自分だけ先に日常に戻っていくのが怖かった。少し前までいた場所で、自分がいない間にどんどん時間は流れていて、なんだか自分だけ取り残されていくような気がして。本来いるべきところはそっちというか、「復興の現場にいたい」っていう気持ちが強くあったんですよね。
谷津さんは現場との接点を求め、復興関連の助成金を探して応募します。内容は、「地元の伝統産業である会津木綿を活かして、避難してきた女性達の仕事をつくる」こと。ボランティアを通して被災した人々と接する中で、「やることがない」「仕事がない」という声を聞いたことが心に残っていたからです。2011年10月に審査が通って活動資金が下り、会社勤めを続けながらIIEの活動を開始しました。
“やっと日の光を浴びれた”

最初に行ったのは、つくり手の募集。仮設住宅に回覧板を回し、人が集まるイベントでプロジェクトの説明をしました。そうして出会った方々のひとりが、大熊町から避難していた庄子ヤウ子さん。庄子さんはニットの製造販売をしていましたが、震災により機械も作業場も失い、仮設住宅で何もすることがない悶々とした日々を送っていたそうです。
谷津さんは会社の仕事を通して縁ができた喜多方のカフェ『つきとおひさま』から“会津木綿を使ったクッションカバー”の製作を受注し、庄子さんたちに依頼しました。
谷津さん:すごい喜んでもらえたんですよね。“やっと日の光を浴びれた”って。
仮設住宅の中で暗い気持ちで過ごしていて、ようやくできることが見つかった、という感じだと思います。自分で働いて稼ぐことって、社会に役立つこととつながっているじゃないですか。お母さんたちに喜んでもらえて、僕も嬉しくなりました。
クッションカバーの次はハンカチ。その次は…と依頼されたものをつくるうちに腕前が上がり、自信がついてきたお母さんたち。「谷津さんの仕事だけだと手が空くから、自分たちでオリジナルのものをつくろうよ」と、オリジナルブランド『會空(あいくう)』を立ち上げてしまいました。ブランド名には、会津の旧字の“會”に、“帰れない故郷につながる空”という意味を込めているそうです。会津木綿を使ったくまのぬいぐるみやスマホケースなど、オリジナルの商品をどんどん開発中。谷津さんはサポートに徹しています。
庄子さん:今ではね、谷津さんからいただく仕事より會空のほうが主力なの。逆転しちゃいました。谷津さんのさっさと片付けて自分たちの仕事やろうって(笑)だからほら谷津さん、こないだ頼まれた仕事も早かったでしょ?
そう笑う庄子さんに、「あれは早かったですよね、びっくりしました。そういうことだったのか…」と答える谷津さん。苦笑しながらも、内心では喜んでいるようです。
IIEの仕事がきっかけとなってお母さんたちが自信を持ち、自立して仕事を生み出していく。復興支援の先の、ひとつの理想的な形ではないでしょうか。
庄子さんたちは現在、自分たちで作業場を借り、毎日手仕事を続けています。
下請けからオリジナル商品開発へ

初期のIIEは下請けをメインにしていました。
谷津さん:最初はひとりでやっていたから、商品を企画して、開発して、営業して…っていうことをする時間がなかったんです。下請けなら受注してから作って渡すだけだから。その頃はコラボレート専門ブランドのようなイメージでやっていこうかと考えていましたね。でも、下請けの仕事はあまりにも儲からなくて。やっぱり自分たちで商品開発して販路をつくらないと、と方向転換しました。
素人がいきなり商品開発をすると、ブラッシュアップに時間がかかってしまったり、企画は良いものの技術が追いつかなかったりして、製品化にこぎつくまでに時間とお金が底をつきてしまった、ということになりがちです。
IIEの場合、下請けを繰り返すことでお母さんたちの技術が上がっていたこと、発注先用に作った商品をそのままIIEの商品として販売させてもらえたことが幸運だったと言えます。クッション、ハンカチ等、お客様の要望を受けて作った商品をIIEブランドの商品として販売し、2012年秋には谷津さんが考案した会津木綿ストールも販売開始しました。今では一番の売れ筋商品になっているそうです。
2012.11.13