物語後編

テラ・ルネッサンスの事業として

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最初の活動資金は、立ち上げメンバーがひとり2万ずつ出し合ってつくりました。しかしそれも仕入れですぐに無くなり、またひとり2万ずつ提供。持続性が危ぶまれていた頃、吉野さんが『NPO法人テラ・ルネッサンス』に採用になりました。

テラ・ルネッサンスは海外で地雷撤去支援や元子ども兵の社会復帰支援に取り組む国際協力団体。震災後は『ともつな基金』を立ち上げ東北でも活動をしていました。創設者の鬼丸さんと吉野さんは元々知り合いで、相談したところテラ・ルネッサンスの職員としてこれまでの活動に取り組ませてもらえることに。

吉野さん:起業家の方から支援をいただいていたとはいえ、あまり負担はかけたくなかったんです。お給料をいただきながら取り組めるならこんなにいいことはない!と思いました。しかも、ともつな基金で集まった支援金を刺し子プロジェクトに使わせていただけることになって。本当にありがたいです。立ち上げメンバーも喜んでくれて、その後もプロボノとして関わってくれています。

テラ・ルネッサンスが入ることで、これまで築いた関係はそのままに、刺し子プロジェクトは経済的にも組織的にも安定しました。

試行錯誤して製品の質を上げる

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大槌復興刺し子の商品と言えば、綺麗な幾何学模様と、素朴で愛らしいかもめが特徴です。デザインは、立ち上げメンバーの友人のデザイナーが考えてくれました。どうしてかもめだったのでしょうか?

吉野さん:現地の雰囲気を知ってもらおうと、デザイナーさんに写真を送ったんですよ。その写真の端っこに、壁に描かれたかもめがいたんです。本当に小さくなんですけどね。それをデザイナーさんが見つけてくれて。かもめは大槌の”町の鳥”でもあるので、採用しました。

プロの協力を得てデザインは文句なしの出来になりましたが、品質も最初から高いレベルを保持していたのでしょうか。

吉野さん:試作品を東京メンバーに送った時のコメントが印象的でした。“返品されるようなレベルではないものの、カオスです”って(笑)どうやってレベルをあげればいいんだろうと頭を抱えました。

それからしばらく、試行錯誤の日々が始まりました。デザイン画を原寸大にプリントアウトしてラミネートし、カッターで切り抜いてチャコペンで布になぞる。当時はそうした方法をとっていましたが、チャコペンは水性なので広がってしまいます。刺し子さんは「どこに刺せばいいの?」という状態。時間が経つと消えてしまうことも問題でした。

この窮地を救ってくれたのは、刺し子商品や糸・針をネットで販売している『飛騨さしこ』さんでした。製品で使う糸をこちらで購入していたところ、『大槌復興刺し子プロジェクト』という名前に目を止めたスタッフの方が「私たちに手伝えることはないか」と連絡をくれたのです。

刺し子の技術やノウハウを教えてくれただけでなく、もっと作業しやすいように、裏地にデザインを印刷した布をつくってくれることに。これならチャコペンで布に下書きをする必要はありません。

しかし、そこでまた課題が生まれました。それは飛騨刺し子さんで使用していた、洗剤に浸けると消えるインクです。刺し終わった製品を、お風呂場でしばらく浸けて下書きを消します。しかしなかなか綺麗に消えてくれません。5日間浸した布が消えていなかったこともあり、「ああ…」とがっくりしたそうです。

その後飛騨刺し子さんの尽力により、水につければ消えるインクを開発してもらうことができました。このインクを使えば、何日も洗剤につけることなく、洗濯機にかけるだけで下書きが消えます。

吉野さん:産業革命みたいでしたね。すごく楽になって、みんなものすごく喜びました。飛騨さしこさんのご協力は本当に心強いです

刺し子さんが“プロ”になっていく

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プロジェクトが始まって一年半。刺し子さんたちの意識もどんどん高くなっています。

鈴鹿さん:震災直後は、厳密に品質管理をすることよりも、つくってくださったものを買い取って現金収入をお届けすること、精神的に落ち着いてもらうことを優先するフェーズでした。いまはその段階を過ぎて、お客様に買ってもらうものとして、満足していただける品質を保つことを重視しています。

検品の時、刺し子さんにやり直しをお願いすることも。プロジェクトを長く続けるために必要なことですが、やり直しをしてもらうときは「少し心が痛む」そうです。

鈴鹿さん:でも、ある刺し子さんに「ごめんなさい、ここをやり直してください」とお願いしたら、「ごめんなさいなんて言わなくてもいいの。だめなところを指摘してもらって上達したほうがいいんだから」って言ってくださったんです。プロ意識を持ってやってくれてるんだな、ありがたいな、と感動しました。そんな風に、こだわりを持って、大切にしてくださっていることを聞けたときは嬉しいですね。

元々針仕事が好きだった人、針を持ったことがなかったという人。仕事をしていた人、既に現役を退いていた人。大槌復興刺し子の刺し子さんの境遇はさまざまです。

鈴鹿さん:ご家族を亡くされて、仮設住宅でひたすら泣いていたという方もいます。“刺し子に出会って、つくることで救われた。ありがとう、ありがとう”って言ってくださって、本当にありがたいなぁ、と思いながら聞いています。その人のニーズに合った形で関わっていただけたらと思います。

状況が変わり、刺し子を“卒業”した方もいます。震災で妹さんを亡くされた小川勝子さん(70)もそのひとり。震災直後は悲しみに泣いてばかりいたそうですが、妹さんが営まれていた焼き鳥屋を再開しようと決意、開店資金を貯めるため大槌復興刺し子に仲間入りしました。小川さんは精力的に刺し子をして月10万を稼ぎ、他の資金と合わせて2011年12月に仮設店舗で焼き鳥屋を再開しました。吉野さんや鈴鹿さんも、よく食べに行くそうです。

鈴鹿さん:刺し子さんが元気になって、それを見て周りの人も嬉しくて元気になって、って元気を分けてもらえたら嬉しいですね。

2021年までに運営主体を地元へ引き継ぐ

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地域の人たちが、地域の課題に自分たちで取り組んで解決していく。テラ・ルネッサンスは、そのためのサポートをするというスタンスを貫いています。例えばウガンダでは、最初の数年間だけ日本人スタッフが入り、その後は現地の人たちで回せるようにしています。 “地域の人ひとりひとりに課題を解決する力がある”と信じているからです。

鈴鹿さん:大槌復興刺し子プロジェクトの目標も、2021年までに運営主体を地元の人へ引き継ぐこと。現在はテラ・ルネッサンスに集まったご寄付を活動資金の一部にしていますが、売上だけで回る状態にすることが当面の課題です。小さくてもいいから、地域に根づいた産業になれば嬉しいですね。

プロジェクトを始めた2011年は、助成金で様々な経費をまかなっていましたが、最近では売上で人件費以外の経費をまかなっているそうです。数年後には、「大槌?ああ、刺し子で有名なところね」と言われるくらいになっているかもしれません。

たったひとりで始めたプロジェクトが、いまこうして広がりを見せていることについて、吉野さんはどんなふうに思っているのでしょうか。

吉野さん:僕の第一義は、現地の人のそばにいるということでした。ここにいるということ、ここにいる人たちの役に立つということ。僕にとってはそれが一番やりたいことなんですよね。全国の皆さんが寄付してくださったり、商品を買ってくださったりしているおかげでそれができている。すごいありがたいことですよね。

これまでのことを振り返り、吉野さんは噛み締めるように「…すごい幸せ者ですよね」と呟いていました。

吉野さん:刺し子さんたちは、この仕事があることを本当に喜んでくれているんです。現場にいるぼくらはその感謝を受け取っていて、人生でこんなに感謝されたことはないっていうくらい。それを、応援してくださっている方々に直接お伝えできないのが歯がゆくて。これからはもっと、そういうことをお伝えしていけるようにしたいです。

2012.11.22