物語前編

「刺し子ガールズのみなさんへ」。遠く海を隔てたロンドンから、大槌町へ一通の手紙が届きました。ロンドンにいる日本人の友人同士5人で刺し子商品を買ってくれた方からです。そこには商品のお礼と励ましの言葉が書かれていました。「私たちガールズじゃなくてバールズだよね。おばあちゃんだから」。刺し子さんたちは、そう冗談を言いながらも嬉しそうに笑っていたそうです。

津波により甚大な被害を受けた大槌町で、こうした温かい場はどのように築かれていったのでしょうか。プロジェクトを立ち上げた吉野和也さんと、テラ・ルネッサンスの職員で刺し子プロジェクトを担当している鈴鹿達二郎さんにお話を伺いました。

家族のように大切に思えて、そばにいることにした

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とある避難所で、震災が起こった時からずっと同じニット帽をかぶっているおばあちゃんがいた。支援物資で帽子が届いたけれど、管理人は「人数分ないと不公平になるから」と支給してくれず、おばあちゃんは泣いている。

震災直後の2011年3月後半。東京のウェブ制作会社で働いていた吉野さんは、現地に行った人のブログを読み、こう思ったそうです。「あげればいいじゃん、おばあちゃん泣かすな」。

でも、現地にはきっと現地の事情があるのだろう。それは行ってみないとわからない。会社の休みを利用し、自分の車に物資を積み込んで陸前高田に向かいました。
避難所を回って物資を届け、たくさんのものを見聞きした吉野さんは、「現地の人のそばにいたい」と強く思い、4月いっぱいで会社を辞めることを決意したと言います。何がそこまで吉野さんを揺り動かしたのでしょうか。

—小学生の息子が「おじいちゃんおばあちゃんを助けるんだ」と家に帰り、戻ってこなかった。
—目の前で「助けて」と叫んでいる人を助けられなかった。
—旦那さんと、不妊治療の末に授かった子どもを津波で亡くした。

吉野さん:そういう人がたくさんいて、僕はわからなかったんですよね。それがどれだけの苦しみなのか、どれだけショックなのか。現地の人が家族みたいに大切に思えて、だから、そばにいることにしたんです。そばにいれば一緒に泣いたり笑ったり、少しでも気持ちをやわらげて、手を差しのべることができるんじゃないか、って。

知り合いの経営者にその想いを伝えると、「私の分も頼む」と、現地で活動するための資金を援助してくれることになりました。すぐに会社に辞表を出し、5月4日に大槌町へ。避難所の一角に寝泊まりさせてもらいながらヒアリングをはじめました。

ネットを通じて仲間が集まる

139548005_org大槌中央公民館 避難所(2011年6月)

吉野さんが陸前高田ではなく大槌町を選んだのには、理由があります。4月に陸前高田を訪問したとき、痛感したことがありました。ひとつは、一日に回れる避難所の数は、多くて二カ所だということ。もうひとつは、信頼関係を築く大変さ。「ほしいものは何ですか」と聞くと、それを届けなければいけない。関係を築くところからスタートしたら、本質的な活動ができるまでに相当時間がかかってしまう。

最善の方法を模索していたとき、『ふんばろう東日本プロジェクト』というサイトに目がとまりました。当時、ボランティアで現地を訪れた人が自分の経験を投稿し、次の人の活動につなげる場として機能していたサイトです。

そこには、大槌の避難所52カ所を訪れ、アマゾンの”ほしいものリスト”を使って2800点、金額にして600万円分の物資を届けたという男性の書き込みが載っていました。この人が築いた関係を引き継がせてもらえないだろうか…?吉野さんが連絡をとると、男性は「そういうことなら協力したい」と快諾。 ほかにもこのサイトを通じて協力者が現れ、4人の仲間と一緒にプロジェクトを立ち上げることになりました。

吉野さん:商品のデザイン、HP制作、広報宣伝。仲間には後々すごく助けられました。
このプロジェクトの面白いところは、実際に全員と会ったのが半年後の11月だったんですよ。それまでは毎週スカイプやツイッターで会議していて。5時間ぶっつづけで話し合うこともあって、「今寝てたでしょ」とか言いながら(笑)そうやってずっとやりとりをしていたので、実際会っても違和感がありませんでしたね。すごく”今っぽい”と思います。

同じ想いを抱き、プロジェクトに必要な能力を持った人たちが、距離を超えてつながる。インターネットによって、大槌復興刺し子プロジェクトは大きな推進力を得ました。

「孫にジュースを買ってあげられた」

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避難所でやることがないこと、仕事がないこと。ヒアリングの結果、浮かび上がってきた大きな課題はこの2点でした。避難所の個人スペースは狭いので、大きな機械は置けません。ひとりで取り組むことができて、最低限の道具があればできるもの。スカイプで相談すると、仲間のひとりから「刺し子はどうか」と提案がありました。

布地に糸で模様を描いていく刺し子は全国各地で親しまれている手仕事で、東北地方にもしっかりと根付いています。狭いスペースでも作ることができて、材料は針と糸と布だけ。まさに条件にぴったりです。手仕事をすることによって心が落ち着く効果もあるだろうと考えました。

吉野さんたちの動きは迅速でした。現地では刺し子さんを集めて試作品をつくり、東京ではサイトを製作し、6月はじめにはネット販売を開始。数が少なかったこともありますがすぐに完売し、「もっとやってみよう」と勢いがついたと言います。

吉野さん:商品が売れたことももちろんですが、刺し子さんたちの反応がすごく嬉しかったんです。おばあちゃんがはじめてつくったコースターに300円をお支払いしたら、そのあとで“孫にジュースを買ってあげられたのよ。ありがとう”って言ってもらえて。震災前は大きな家に住んでいた、とても品のよいおばあちゃんなんですよね。避難所暮らしで、お孫さんがジュースを欲しがっても買ってあげられなかったそうなんです。喜んでいる顔を見て、ぼくも嬉しくて。仲間に電話して、“ちょっと聞いてよ”って(笑)

2012.11.22