キラ・ウエア製作現場を訪ねて2014.8.11UP

2014年6月、「キラ・ウエア」を製作現場から支える高橋さんを訪ねました。福島県相馬市は、沿岸部が津波で大きな被害を受けたまちです。

高橋さんは、自然の恐ろしさを忘れずに後世に伝えていくため、震災直後の相馬市沿岸部を撮影した写真を集め、『3.11被災者による写真集』としてまとめています。写真を見せながら、東日本大震災当日の様子や、いまの相馬の様子を教えてくれました。

そのうちの数枚を転載します。
(東日本大震災当日の写真を掲載していますので、気分が悪くなってしまう可能性がある方は閲覧をお控えください)

 

 

 

 

 

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3.11直後、ニュースで同じような映像が度々流れていましたが、いま見るとやはり胸が締め付けられる想いです。本当に大変なことが起きたんだということと、ここから立ち上がって新しいものを生み出してきた人たちの強さを実感します。

高橋さんは取材のあと、車で沿岸部を案内してくださいました。

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震災直後の風景を見たあとだと、「よくここまで…」という気持ちになります。しかし、高橋さん曰く、かつては景勝地や海水浴場として親しまれてきた海は様変わりしてしまったとのこと。懐かしい風景は失われたままです。

高い堤防を建てる計画が進んでいますが、「海が見えなくなると、逆に危ないんだよね。“津波来てるかな”って覗きにいく人が必ず出てくるから」と高橋さんは心配します。

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港にずらりと並ぶ船。この向こうにも、2列、3列と船が連なっています。
「津波のとき、漁師たちが命をかけて沖へと向かい守った船さ。でも、放射能の影響で、漁にはまだ出られないんだよ」と顔を歪ませる高橋さん。

震災から3年が経ち、被災地への関心は少しずつ薄れてきています。
「もう東北は復興したんでしょ、まだそんな活動しているの?」と外部の人から言われ、やるせない気持ちになった。そんな声を、東北で活動している人たちの中から聞くようになりました。

確かに、少しずつ復興は進んでいます。
でも、沿岸部はまだまだ震災の爪痕が残り、元の暮らしにはほど遠い状況です。復興が進むにつれて、仮設に残った人と家を建てることができる人の間に溝ができるなど、新たな問題も生まれています。

東北マニュファクチュール・ストーリーでは前を向いて活動している人に焦点を当てて紹介していますが、こういった苦しい現状や課題があることからも目を背けてはいけないな、と思います。

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